夏休みとの狭間の揺らぎ

テストが終わった。大学に入って初めてのテストだった。結果がどう出るかなんてものはもう知らない。単位を落としていそうなものがいくつかある。特にどれがと言われれば間違いなく私はドイツ語だと即答するだろう。第二外国語として選択したドイツ語。理由は簡単だった。ドイツが好きだから。そして、もしかすると将来、ドイツの研究をするかもしれないから。加えて言うなら、ソ連の研究をしたいから、その兼ね合いで、だ。無論本命はロシア語である。

しかしこの大学は殊言語に関しては何分貧弱である。偏差値的にはある程度のランクにはいる。後期ならセンター試験の得点率は9割に肉迫する。だがそんなものは当てにならない。偏差値だけでその大学の教養科目のレベルが高いなどと思ってはいけない。この大学がその好例だ。しかし、別に専門科目のレベルが低い訳では無い。寧ろ教授のレベルも学生のレベルも相当程度に高い。そこは誤解のないように言っておきたい。

閑話休題。ドイツ語は片方はほぼ確実に落としている。もし落としていなかったら、そうだな、別に何もしない。あたりまえだろう?なんでしなきゃいけないんだ。また余計な話になった。

今度こそ、閑話休題。単位はあとは取れているか確認するだけだ。もう一つ、やはり大学生の期末と言えば必ずついてくるのがレポートだ。レポート総数が30本にもなるという友人の前でこんな話をするのは若干気が引けるが、いいだろう。レポートのためだけに何冊本を読んだだろうか。40冊近くは読んだはずだ。加えて、学術論文を20本くらい。5本のレポートのために。大学生の標準がどうなのかよく分からないが、普通よりは多くの労力を払っているのかもしれない。私を褒めてくれてもいい。

さて、その中で最も衝撃だったものを話そうと思う。それは、まさに昨日、8月6日のことだった。なんの前触れもなく、正しく青天の霹靂であった。今日、8月7日提出だと思っていたレポートが昨日提出だったのである。テストが終わって、翌日のテストのために勉強しないまま家路についてそうしてカラスの行水をして、ベッドに入った。昼下がりのことであった。

それからおよそ2時間半。ベッドから起き上がって下に降り、何か目的を伴ってでもなくパソコンに向かった。15:00のことだった。そしてメールボックスを開いた。そう言えばレポートは明日提出か、と思い出して教授からのメールをあけ、詳細を確認した。何度目かの確認だった。しかし何回か確認していた時とは異なって見えたところがあった。提出期限だ。「8/6 17:00」そう書いてあった。パニックに陥った。まずは教授にメールをした。一縷の望みを託して。それからは死に物狂いである。既に借りていた資料を該当箇所だけ一気に読み、レポートを書き出した。30分間で全ての参考文献の該当箇所を読み終えた。時計を確認する。時間との勝負である。ルーズリーフに構想を書き出し、結局実際レポートを書き始めたのは15分後だった。人間は集中するとさほど周囲の雑音は気にならないらしい。ついでに言えば作業効率が格段に上がるらしい。16:15前後にレポートは完成した。家のコピー機はインクが切れていた。インクを買っておこうと思って、それでいてサイゼリアで無駄な時間をすごしていた前日の私を心底呪った。何たる悪行か。

気持ちの切り替えは早かった。早々にそこには諦めをつけて日が傾いても未だに暑い京都の街へ飛び出した。近くのファミリーマートに自転車で駆け込み、コピーをした。そこからはただ必死だった。タイムリミットは17:00。残り35分。通常、大学までは自宅から自転車で15分~20分かかる。余裕かと思うかもしれない。しかし、そんな単純ではない。もし運悪く全て赤信号に当たったらどうする。私は常に最悪の事態を想定して行動しており、セルフマネジメントは完璧。完全無欠なのである。ん?レポートの提出期限間違えていたじゃないかって?それとこれとは話が違う。

汗だくだった。教授の研究室に着いたのは期限の15分前。レポートを手渡し、少し談笑してから部屋を出た。汗が目に入り、目が痛かった。そのまま生協に向かった。体がアイスクリームを欲した。とっとと冷却しやがれこの野郎。罵詈雑言を体内から食らっているような心地だった。頭が、肩が、腰が痛い。肩と腰が痛いのは元々だった。

さて、私はとても疲れていた。あの後どうしたと思う?帰って寝た。と言うと思っただろうか。何を隠そう、鎌倉パスタに行った。最も安いパスタを注文した。あれは美味であった。最後まで他の卓にはついた時に店員さんが持ってきていたお冷は持ってこられなかった。

店を出ると20:00を回っていた。私はこう思った。映画を観よう。明日は最後のテストだ。二限だ。レイトショーに行こう。バカがここにいた。『天気の子』を観た。その感想などはまあ、気が向いたらまた書くだろう。終わったのが23:00過ぎくらいだったと記憶している。記憶は定かでない。私の記憶は信用してはならない。

家に帰ってまたシャワーを浴びて、ドイツ語の勉強を始めた。

目が覚めたら、7:30。ベッドの上にいた。記憶はどこかに置いてきた。またもやシャワーを浴びた。そして、遅刻しては叶わないから時間に余裕をもって家を出た。

大学に着いたのは8:15くらいであった。テストは10:30からである。ドイツ語、最後の詰め込みをした。ポカリを飲んだ。熱中症対策は大事だろう?

テストは30分で解き終わった。わからなかった。単位はこの時私の手から零れ落ちて行ったように思う。真相は定かでない。友人と食堂で早めの昼食を食べ、最後の別れを告げた。前期最後の別れを。

家に帰ってからは明日、東京へ鈍行列車の旅をする準備をしていた。新幹線使えばいいのにと思うかもしれない。私だって使いたい。だけれども私にはお金が無い。故に私は明日朝一で青春18きっぷを買って9時間半をかけて東京に行くのである。それほど長時間電車に乗るのは肺が潰れて札幌まで陸路で行った時以来だ。あの時は半日かかった。おかげさまで私は今京都にいるのだが。

15:00少し前。雷が何度か鳴り響いた。部活の、残暑見舞いを書くという仕事があった。私は学校へ自転車を走らせる。後ろからは土砂降りの雨が、前からはえげつない雷が私を執拗に狙っていた。雷は最も近くて200mも離れていない所に落ちた。大学に着く直前、雨に追いつかれた。びしょ濡れである。

するべきことを終えた。そして私は再び家路についた。18:00少し前であった。

今までゲームをしていたのは記憶にある。しかしなぜもうこんな時間なのかそれは知らない。そんな長い時間ゲームはやっていなかった。今までの事実がどうであったかなんてことは至極どうでもいい。今はただお腹がすいた。

そうだ、サイゼリア行こう。

ちょっと遅めの、晩御飯へ。遅すぎるなんてことは聞いちゃいない。とりあえず今すぐにでも行きたい。これを書き始めたのは23:00くらいだったと思う。何をやっているんだ僕は一体。

とりあえず、サイゼリアまで、、、

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