創作活動についての話
創作活動。料理や食べ物を食べること以外で私が好きな唯一の趣味。一重に創作活動とはいえど、その範囲は広い。絵を描く人、作曲する人、縫い物をする人…創作をする人は多種多様で、彼らは総じて何かを作っている。
私はその中でも字書きが趣味。そのキッカケは物語に対する飢えだった。ジャンル問わず物語を読むことが好きな私は子供の頃から様々な本に手を出した。学生でもスマホを持つことが一般的になり始めた頃には、創作サイトにすら入り浸るようになった。それだけ他人の物語、延いては他人の創作物に関心を持っていたのではないかと思う。
他人の創作物を読み始めてから、ちょっとした不満を抱えるようになった。私が利用していたサイトの年齢層が低いのか、あまりそれらの小説が好みでは無いこと。物語が終わっていないのに作者とキャラクターがしつこく登場しては文章中で盛り上がっていたり、キャラクターのセリフだけを用いて一切情景描写が無いにも関わらず「///」や「(( ))」を多用したり。題材になった作品があるにも関わらず、大元である作品のことを明記しない。あろう事か、それをコメント欄で指摘すると作者からブロック/非表示されるという始末。使い始めて数週間でここは魔境かと思える程度には年齢層が低いのだと知った。「民度が低い」という言葉はこういう場合に使う為にあるのではないだろうか。
結果。他人の創作物に満足できなくなった私が取った方法は、自分好みの作品を自分で作ってしまおう!というものだった。他人の作品に不満をこぼすくらいなら自分で作ろう。そうすれば他人に迷惑をかけることも無く、私は自分の好みの作品が読むことが出来る。自給自足生活の幕開けだった。
とはいえ私はそれまで文字を綴った事のないド素人。当時中学生だった私の国語の点数はそれなりに高得点ではあったものの、作文についてはからっきし。「文字の読み書きこそ出来るが文章力は無い」といっても過言では無かったはずだ。
それでもそこで諦めようと思わなかったのは恐らく本当に飢えていたからだと思う。近場に田畑しかない田舎で娯楽を見つけることは難しい。外で遊ぶことが出来るのであればそうしたい反面、自分の体質上それが叶うこともない。友達が多かった訳でも、家族仲が良かった訳でもない。好きな物も関心を持てる物も滅多に無い。たまの外出で本屋に赴いた際、気に入る本があれば買って帰って読み耽る。その程度の娯楽しか無かったからこそ、自分好みの作品を自分で作り出すという行動は、ある種の欲求不満の解消であったとすら思える。メタ的に考えると購入しては増えていくばかりの本に自室が圧迫されずに済むし金銭的な問題も定期的に購入するよりは気にならないといったメリットくらいはある。
そうして手をつけた創作活動は意外と長く続けることが出来ている。大まかに計算しても10年近く。丁度、文字書きを始めた頃に好んでいた作品もつい先日9周年を迎えていた。人間夢中になれば行くところまで行くことが出来るという話だ。そして私は今日もきっと創作をするんだろう。
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