静かに満たされる
見ているだけで、とか、聴いているだけで、静かに満たされるってあります。
子どもが一心に何かに取り組んでいるところとか。
冬の木についたまんまるの実の連なるさまとか。
小さな野鳥が羽根をはばたかせる音とか。
いわゆるアートと呼ばれるものに接したときも、そういうときがあるけれど、満たされ感よりも刺激や興奮のほうが大きいときもあったり。
今夜は本当に久しぶりに、イサドラ・ダンカン舞踊のオンラインクラスに参加できて、振り付け作品を1つ、みんなと踊ったのだけれど、その後で同じ曲を舞台で3人のダンサーが踊っている動画を見せていただけた。
それを見ているときに、例の静かな満たされ感がやってきました。
踊る人と音楽と空間が、ひとつになってた。ダンスが音楽になってた。音楽がダンスになってた。空間が音楽になってた。静謐な場だった。
イサドラ・ダンカンの舞踊レパートリーは、彼女が生きた時代のいわゆるクラシック音楽の作曲家の音楽に即したものばかりなのだけど、そして私は西洋のクラシック音楽にそこまで明るいわけでもないのだけれど、でもレパートリーを踊るごとに、身体が本当に素直に音楽についていくのを感じます。音楽と身体の間に齟齬がない。(もちろん今はブランクありすぎて、体力もないし、まともに踊れなどしないのですけども💦、齟齬のなささだけははっきりわかる)。
ほんとにすごいことだな、と思います。
イサドラはいわゆる「モダンダンス」の始祖だけれど、ダンスはその後コンテンポラリーなどいろんなありように発展をとげていく過程で、音楽からの独立を図ったりもした歴史があって。
そういう展開も興味深いのだけど、やっぱり自分はイサドラのこの、ほんとうに自然な、身体に無理強いしない動き、精神が動く量とちょうど同じだけの大きさでそれ以上でも以下でもない自然な動きによって、「身体が音楽になる」「空間が音楽になる」という場に、静かに満たされるんだなあ、と今夜改めて思い知らされた。
自分が踊るのも好きだけど、人がイサドラ作品を踊るのを見るのはもっと好きかも。。
ダンカン舞踊の先生たちにはずっと元気でいてほしいです。