両親、祖母に大好きなオーストラリアの土地から自分の姿を届けたい|グッと!地球便に出演を決めた理由
こんにちは、ブリスベンフローリストのYukinaです。
本日、グッと!地球便さんの番組で私の取材の回が放送となりました。まだ、私はみれていないのですが、「みたよ!」と連絡をくれる友人、直接は知らない方からもご連絡をいただき本当に嬉しいです。ありがとうございます。
取材は4日間の密着、そして放送は編集されて30分の放送。実はディレクターの方とはまだちょこっとやり取りしていて、たくさんあって、どこを切り抜くか編集がとても大変だったことを教えてくださいました。
私が抱えてきたものって、毎日の積み重ねのもの。記憶は曖昧になることもあるから、自分のためにここに書き留めていこう。今日はテレビの放送もあったので、オーストラリアに来る日から今までのお話を少し。
家族にオーストラリアでの私の生活、姿を見せたい
再婚する前の私は、シングルマザー、実家暮らし。恥ずかしながら貯金もそこそこ。家族の協力を得て子育てしながら日中は医療ソーシャルワーカーとして病院で働き、夜は友人のコンビニの手伝いと2つの仕事をしていた。余裕なんてあんまりなかった。まさか自分が再婚してオーストラリアに行くなんて思ってもいなかったな。
オーストラリアに出発する日。玄関から見送りに出てきた祖母が一言。
「もう2度と戻ってくるんじゃない。」
真剣な顔。祖母は真っ直ぐ私を見ていった。
なんて厳しいことを言うんだろう。と心の中で思いながら、祖母を抱きしめて「行ってきます。」と車に乗り込んだ。ミラー越しに遠くなる祖母は、手で目を押さえながら、ずっと私が見えなくなるまで立っていた。あの言葉はきっと祖母なりの頑張れだったのだと思う。
絶対に、家族にいつか私が大丈夫だよという姿を見せようと思った。
オーストラリアでの最初の目標
私はわがままで、自分を貫き通してきた。自分がやりたいことを信じて、貫き通していた私はよく母に怒られていたことは今でもよく思い出す。
母は、幼い頃の私のことを「鉄砲玉」だとよく言った。それは、私が出かけると家を出たっきりなかなか戻ってこなかったかららしい。オーストラリアに飛んでしまった鉄砲玉。
再婚することも急に言い、オーストラリアに立つ日も急に決めた。いつも気持ちのままに動く私にきっと母は振り回されていたし、呆れていたのではないだろうか?
でもそんな私を母がたくさん愛してくれているのも知っている。
オーストラリアに移住して、大好きになったこの土地。旅行が大好きだった祖母や私のことを心配する両親にどうしてもオーストラリアを見せたい、私は大丈夫だよという姿を早く見せたいなと言う気持ちが日に日にに強くなっていった。
オーストラリアに移住し、しばらく立ったある日のこと。
両親と祖母に連絡をして、「オーストラリアで挙式をしたいからその時は来てほしい。」とお願いをした。祖母は悩みながらも「これが最初で最後のオーストラリアへの旅になるかもしれないから行くよ。」と言ってくれた時は本当に嬉しかった。
オーストラリアで家族を呼んで挙式をすること。私の生活を見せて家族を安心させること。
それが私の最初のオーストラリアでの目標になった。
収入ゼロ、英語力ゼロからスタート
当時の私は仕事をしていなくて収入ゼロ。英語の準備も何もせずに、来たのだからあたり前。当時の私はなんて甘かったのだろう。夫に頼ればなんとかなるなんて思っていた自分が恥ずかしい。
日本人の夫。彼のオーストラリア移住歴は20年を超えている。
でも夫は、全然私を甘やかしてはくれなかった。最初の2、3週間を過ぎたら、「自分でコーヒーのオーダーくらいしろよ」の勢いだった。
子供のことでメールをしたいけれど書き方がわからないと相談すると、「知らん。」えぇ、そんなことある?って時もあったけれど、そのおかげで私はこんなにますます逞しく生きれるようになってしまったような気がする(笑)
そんな英語力ゼロの私だけどどうしても夢を叶えるためにお金を貯めなければと必死に仕事を探した。なんでもいい。今の私を受け入れてくれる人がいるならどこでも働こう!自分の好きなことというよりもこの時は、お金のために仕事を探した。
初めて働くことができたのは、日本人経営のお寿司やさん。あの時に雇用していただいたおかげでオーストラリアでは何もできないんじゃないか?って思っていた自分に少し自信がついた。オーナー夫妻にも感謝しかない。
人生を変えるきっかけをくれた人との出会い
その後、愛知県、名古屋の𡈽方という日本料理のお店のご夫妻との出会いが私を次のステップへ導いてくれた。ご縁があって、ご夫妻と娘様のゴールドコースト旅行のお手伝いさせていただいた。
その時の私は、まだ移住1年目で英語は少しだけできるようになった頃。きっとお二人は現場で私の英語を聞いて、私の英語力なんて見抜いていただろうけど、何も言わずに私のことを信じてくださっていたのではないかと思う。
それからも交流は続いていて感謝しても仕切れないくらいご夫妻には大変お世話になっている。私にとっては両親のような存在。今では二人のことを愛知県の両親と呼んでいる。
余談だけれど、𡈽方さんのお料理は、何から何までこだわりが詰まっている。お店に一歩踏み込んだだけでそのこだわりは伝わるはずだ。ぜひ一度足を運んでみてほしい。
こうしてこのお二人との出会いをきっかけに、オーストラリアをもっと日本の方に紹介したい!と旅行会社へ転職した。
パンデミックが全てを白紙に
旅行会社にアルバイトとして転職。ありがたいことに数ヶ月後には正社員として働かせてもらえるようになった。不安定だった収入が、やっと安定した収入になることに少し安心した。
結婚資金も溜まってきていた。夫も私の夢を叶えるために一緒になって協力してくれていた。挙式資金を貯める口座に毎週、同じ金額を貯金していく。
これで挙式できそうだ!と日時や式場、プランを立て始めようとした時。パンデミックが起きた。
飛行機のキャンセル情報、変更がいち早く耳に入る。オーストラリアと日本間のフライトは3月を目処に無期限でなくなることを知った時の絶望は計り知れなかった。
いつ終わるかわからない、原因不明の病。
当時、長男のみを日本に帰国させていたのだけれど急いでオーストラリアに帰国できるように手配。国境が閉まる前に長男はオーストラリアへ戻り、私は日本に帰ることなくパンデミックを迎えた。
挙式日程もプランも白紙に戻った
とてもショックだった。これは最低1−2年、家族に会えないかもしれない。そして、祖母は大丈夫だろうか?このパンデミックを乗り切ってほしい。
日本人相手の旅行会社は、このパンデミックを機に業務はゼロに。私は自宅待機となった。
状況を嘆いても仕方ないか。この時、仕事ばかりだった私は、夫や子供との時間が増えた。ビーチに出かけたり、料理をしたり、ゲームをしたり、話をたくさんした。
そしてLINEテレビ電話の回数を増やして、祖母とたくさん話をした。一緒にエクササイズもした。とにかく、健康にこのパンデミックを乗り切って、オーストラリアに家族を呼びたかった。
今思うと、この時期は辛かったけれど、家族と向き合えた時間でもあったと思う。
小学生の頃の夢、フローリストを目指す
パンデミックでおうち時間が増えたことによって、私は植物を育てることにも力を注ぐようになった。好きだった植物をホームセンターで購入しては、自宅で育てて楽しんでいた。
ある日のこと。
夫が「そんなに植物が好きなら、ここで何か学べばいいんじゃない?」と言ってきた。
英語で何かを学ぶなど、そんな考えは私には全くなかったので、最初はびっくりした。けれど、その言葉が妙に私をワクワクさせた。
「何を学ぼう?」
グーグルで検索して、調べた文章をひたすらコピペで翻訳する。園芸、庭師、ナーサリースタッフ、ファーム、フローリスト。。。
ふと小学生の頃の夢を思い出した。私はあの頃、お花屋さんになりたかった。
祖母に連れられて行った生花のレッスンの隅でお花で遊んでいたこと。花に触れる私を見て、母がお花屋さんでのアレンジメントのワークショップに連れて行ってくれたこと。
昔、祖母と縁側に座って庭にある紅葉の紅葉を楽しんだり、ツツジの蜜を吸ったり。金木犀の匂いに誘われて庭を走ったり、私が綺麗な庭師の仕事をするのだと枝切り鋏を使ってすっかり小さくなってしまったツツジを見た祖母の怒りの顔は今でも忘れられない。道端で拾ったお花を祖母や母によくあげたっけ。
私の家族の記憶はいつも花と香りに包まれていた。
「フローリストになろう」
彼に出会った時にビビビってくる時があるってよく言う人がいるけれど、まさにこの仕事をしたいと思ったのはこのビビビ直感的なものだったと思う。
決めた!というところからは本当にあれよあれよと早かった。
学校を探し出して、連絡。ラッキーなことに私が通うフローリストリーコースは、約2ヶ月後にはタームがスタートするというのだ。願書提出から支払いも済ませて、準備OK!
ここからフローリストになるための1歩を踏み出した。
この時も実は、英語がぁ、、なんて言っていたのだけれど、夫が「通訳なんていらない。そのままいけ!」とコースには通訳サポートがあったのにもかかわず不要と願書を出したのである。
💐私がフローリストになるためにしたこと
💐仕事探しを始める前にした方が良いこと、現場での職業体験。
フローリストになった今
今回は、かなり長くなってしまいそうだったのでお花の学校での様子は割愛しました。学校は、それはもう大変の連続だったんです。
通訳欲しかったじゃん、、ってオリエンテーションの日に泣きました。
でも、今こうして大好きなお花屋さんで働かせていただけるまでになりました。
💐勤務3年目になりました
今では、お店に一人で立たせていただけることも普通になりました。あの頃の私からしたら、考えられないくらい、信じられないくらいの成長を自分でも実感しています。
でもそれは、私のことを信じて仕事を任せてくれていたオーナーや先輩のおかげです。お客様も粘り強く私の訳わからない英語に付き合ってくださる方もいて、当時からお付き合いのある常連のお客様とは時々笑い話です。
お店、そしてお客様に育てていただき、今の私があります。それはとてもとってもありがたいことです。
オーストラリアで挙式を挙げました
オーストラリアに来てからの夢。
両親、祖母をオーストラリアに呼んで挙式をする
去年、無事に挙式をゴールドコーストで挙げることができました。参列してくださった家族、友人にはもっとおもてなしをしたかったのですが、本当に挙式のみのプラン。
祖母の衰えが進み始め、早く挙式をしようと急いだのですが、このプランを立て終わった頃には、祖母が「みんなに迷惑をかけられない、歩ける自信がない。」とオーストラリアには来ないという決断をしました。
インスタグラムでのライブ中継を行い、祖母は日本で私の姿を見てくれました。
フローリストの学校に通い始めたときに、もう一つ夢を設定していました。
自分のウェディングブーケは自分で作る。
お花屋さんのオーナーであるバートとの予定が合わず、結局挙式のお花も自分で作ることになってしまいました。でもこれはこれで忘れられないとても良い記念になりました。
私の働く姿を見せる機会をくれたテレビ番組、グッと!地球便
挙式を終えたある日。インスタグラムのDMでテレビ番組の取材の件でご連絡をいただきました。
詐欺か。
海外に来るとより一層、疑い深くなっていた私。(なんか、騙されそうになること多いのよね。ちなみに、夫との出会いもアプリだけれど、オーストラリア在住は詐欺だと思ってた。誰得かわからないけど。)
でも、それでも一度話をしてみたいなと思い、お話をしてみることに。
そんな中、夫がまた一言。
「君騙して、その企画誰が得するの?お金請求された?」
いや、まだ。。。。じゃぁ、とことんお話聞いてみます。という流れで話が進んでいった。
番組制作と聞くと、視聴率!みたいな作り方をするって聞いたことがあったけれど、話を聞くうちにそうではない感じがしてきた。
私の職場で働く様子をメインにして撮影してもらえるのであれば、祖母にも両親にも私のありのままの姿を見てもらえる機会だと思った。カッコつけずに、私の日常をありのままプロに動画に撮影してもらい、編集、そしてスタジオで家族がそれを見るという体験ができる。
こんな機会、今受けなかったら絶対に今後来ないと思った。
まずは母にすぐに相談。母は、テレビに出て私の子供たちに影響はないのか?とあまり良い返事ではなかった。そうだよね。母はいつも自分より子供優先で考えてくれる人だ。
ネット社会で怖いのは、良くも悪くも有名になること。母からしてみたら、子供たちはそのような人たちから守るべきという考えだった。正直、私も実は一番悩んだ点だった。
でもたくさん話をして最後に母は一言。
「じゃぁ、私の連絡先を先方に伝えておいて。」と言って電話を切った。
母はいつもメリット、デメリットをしっかりと考えて行動する人だ。そしてやはりいつも子供のことを優先に考えて、反対意見もしっかり言ってくれる温かい人だ。
お花屋さんのオーナーにもすぐに相談。その場で”OK、When?”とじゃぁ、撮影日の調整をしなきゃと話がロケット並みに早かった。
こうして話はとんとん拍子に進み、夫はもちろんのこと、日本にいる家族、お花やさんの協力を得て撮影を終えることができた。
撮影に来てくださった担当者の方は、番組制作に対してとても熱意のある人だった。カメラマンさんも仕事に対しての考え方、意見をもっている人で、異なる業種といえど、尊敬できるお二人だったので安心した。
二重顎の角度取らないでくださいってカメラマンさんに笑って言ったら、「ドキュメンタリーで全て真実をお届けするので無理ですね。」と笑われた。番組で二重顎を見つけたら変なカットもお芝居もないことはきっと皆様にもお分かりいただけるはず。
私はまだ、番組を見れていないけれど、本日日本では放送されたそう。Tverで見てくれる友人、noteのフォロワーさんからもコメントをいただきとても嬉しい。本当にありがとうございます。
祖母、両親は私の映像を見て、少しは安心してくれたんだろうか?
私、ここでやっていけてるよ。まだまだ道のりは長いけど大丈夫だよ。
最後に
最後に、私を見つけてくださり、企画書を作成してくださった担当者の方、現地への撮影、インタビューをしてくださったゆかりさん、前原さん、現地通訳担当者の方、このような貴重な機会を頂けたこと、本当に感謝しています。ありがとうございます。
お花屋さんのオーナー、同僚、友人、そして家族。本当に本当にありがとうございます。みんなの協力なしには、出来上がらなかったものです!
番組を見てくださった皆様、私のことを知らなかたも見ていただきありがとうございます。今回の私のインタビューは現地に来てくださった番組作成のゆかりさん、前原さんの魂が入った一つの作品でもあります。
作品を作り上げるのってどの業種でもとても大変なことです。お二人は重たいカメラも持って現地に来て、何本ものテープの予備を抱えて、4日間早朝から夜まで撮影をしてくださいました。
番組制作の方にとっては、多くの方に番組を見ていただけることが幸せの一つだと思います。ぜひ、一人でも多くに皆様にこの番組を知り、これからも他の方の回も見ていただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
Yukina💫