我が三人の師に与ふる書② ─第二の師・『初版道』さんこと川島幸希氏─
①はここから
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いつ、この人の弟子になりたい、そう心から願ったのか、正直全く覚えていない。
というか、無理なのは分かりきっていた。前回のnoteで『私が寺田寅彦なら初版道さんは夏目漱石である』、なんて啖呵を切ったけれど、その実会ったことも見たことですらない。寅彦と漱石は物理談義をしていた、しかし私と初版道さんは別に専攻分野の話をするような仲でもない。てか、あの人私の専攻分野全く詳しく無いだろうし。(それは私もまだ学が足りないから単に話すことに抵抗があるという話と、なによりそこまで近い距離であるわけではないというのがあるのだが)……でも、でも、なってみたかったのだ。元来読書好きとはいえ一端の理系大学生が飛び込むにはあまりにハードルの高い、日本文学、古本蒐集というだだっ広い、そしてやや頭の固そうな(良くも悪くも)世界に飛び込むきっかけとなった、「初版道」という妙ちきりんな(褒めている)名前の人の弟子に。
───だが。そう、だが。なってみる!オイラは自称弟子!なんて言ってはみたが。なかなかに奇妙ではないだろうか。そう考えて、よくよくこの関係を誰か作家に例えるとしたら、誰になるだろう、とふと考えた。最初は寅彦と漱石に喩えたけれど、ひょっとしたら太宰治と芥川龍之介の関係性の方が私と初版道さんを指すには近いのかもしれない。そこまで考えて、いやまああんまりこの例え好きではないなと思い直す。なぜなら私は太宰治に対して三島由紀夫と上林暁を足して2で割るような思考回路をしているから、太宰に対して好きでもあるんだけど嫌いでもあるのだ。なんか近づいたら飲み込まれそうで怖い。怖いから三島の言うもし自分が「太宰を好きで太宰に溺れればね、あんな風(田中英光の自殺)になりゃしないかって恐怖感」に死ぬほど共感するし、「自分は違うんだっていう立場を堅持」したいと思う。けれど、上林暁が太宰治に対して抱いた「新しい風」の気持ちもわかる。太宰の死後、上林暁が不眠症に陥り、随分と彼の死に「ひきずられた」と書く気持ちも死ぬほど理解できる。え??気持ち悪い、複雑だって??ええもちろん、気持ち悪いし複雑ですよ。複雑すぎて時折私は実は、てか内心、太宰治のことが好きなのでは?とか考えてる。三島由紀夫に太宰治が言ったこと丸ごと私にぶん投げられたらちょっと惚れるかもしれん。いや、何を考えてるんや私。落ち着け。勿論恋愛的な意味じゃなくてですね。て何の言い訳?そりゃそうやろおじいちゃんやで今の時代に合わせて考えても。
……さて、まあいいんですよ、太宰の話は。別に。そう別に!私の世界一大好きな作家・上林暁が太宰治の「斜陽」を評価してるからちょっと読んでみようかなと思ってるからちょっと好きになりそうとかなってないとか、桜桃忌は少し素直になって太宰のこと好きって言ってみようかなと思ったとか思ってないとか言ってるとか言ってないとかそんな話はどうでもいいんです。てか芥川龍之介と太宰治の関係に例えるのも変ですわ。そりゃそう。別に初版道さんの名前ノートに書き付けてるわけじゃあるまいし……HAHAHA。
てか、初版道さん宛の手紙なのになんでこんなに太宰にリソース割いてるんやろ。うわー。誠に申し訳ありません。
……というわけで、今回の主役は皆さまご存知、初版道さんです。出会いは今ある史実垢(読書垢)の前に作っていた、あるアカウント。最初見た時、フォロワーが多くてでも本人は誰もフォローしていないから、少し怖かった。写真見たら古本がたくさん並んでいて、すごいコレクターだなあ、少し気難しかったりするのかな、とか色々考えてた。なんとなくだけど古本好きな人って頭硬いイメージが漠然とあって(これは偏見)ゆえに最初の初版道さんの印象もそうだった。でも、ツイートを見ていくうち、だんだんとその印象が変わってきた。ユーモアと真面目さの比率が取れた文学関連のツイート、初版道さんで検索すると出てくる、初版本を無料でプレゼントするとかいう企画。どのツイートも、初版本や文学に興味が出てきていた自分にとってとっかかりとなりやすいツイートばかりだった。そんな時、彼のツイートの中でフォロワーさんから色々な質問が飛んでくる、という趣旨の話を見かける。えっ?この数のフォロワーから質問が飛んでくるの?マジで?しかもちゃんと答えてくれるの??え??……ドキドキしつつ、自分もなんかあったら相談しようかなと思っていた。
その時は、割と早く来た。当時古本屋さんに行く勇気もなく(この頃はまだ上林暁に出会っていなかった)高校の図書館を古本とか無いかな?とか考えながら漁っていた高校3年生の頃の私は、初めて谷崎潤一郎が訳した、源氏物語の古本を見つけてしまう。
これってもしかしてもしかしてしまうやつ!?でも、自分には初版かどうか分からないしなあ。一応Wikipediaとか、Google先生に頼りつつ調べた。すると谷崎潤一郎が2回目に訳した源氏物語の初版では?と思わしき画像があった。でも確信がない。てか背の部分に補強のためにテープがあって、正直わからないし……ウーム……。
色々悩んだ。めっちゃ悩んだ。古本玄人の皆様にこんな話を聞かせると本ッッ当に馬鹿にされるかもしれないし現に私は過去の自分に幻滅しておるのですが、当時の私は、奥付の読み方さえ知らなかった(!)のだ。本ッッッッ当になーーんも、分かってない。『でも、聞いてみるって大事だよね。』そう自分に言い聞かせながら、向こう見ずの私はまあ当たって砕けろ精神でやれるだけやろうと取り敢えず初版道さんにDMを送ってみることにした。
(今思うと本当にこんなこと初版道さんに聞くなよ!と思うのだけど)初版道さんは私にDMでひとつひとつ教えてくれた。
①昭和26年の中央公論から出た2番目に刊行された谷崎源氏であること
②谷崎潤一郎の訳した源氏物語は戦前に出たものと戦後に出たものがあり、これは後者
③この谷崎源氏は歴史と伝統のある高校にしかないもので、結構珍しいものであること
予想が当たってホッとしたと同時に③にビックリさせられた。え、てことはまだまだ私が知らないだけで色んなものがあるのかな!?そう思い、改めて母校について色々調べてみることにした。そしたら出てくるわ出てくるわ歴史の数々。いや、歴史あるのは知ってたんだけど、作家関連の出来事はあまり関係ないと思っていたのだ。だけど、調べてみりゃ凄いもんだね、文藝春秋の講演会が行われており、菊池寛を中心に久米正雄、吉川英治、小島政二郎、濱野修、大佛次郎、佐佐木茂索が来校していた。文藝春秋の講演会以外にも横光利一も講演しに来ていた。(講演内容は調査中)
そりゃこんな学校なら図書館の本も古い本が多いわな、納得納得。
そうして色々教えてもらって、本を借りたはいいものの、部屋に置いてそのまま読む機会を逃して返してしまった。なんか谷崎の本を目の前にすると恐れ多くて読むのが億劫になったのと単純に受験期忙しくて時間がなかった。いやマジでほんま勿体無いよね、わかる。こんなこと言ったら何人かの谷崎ファンに刺されそうだけど、ほんまにその時はなんか読むのが怖くて装丁撫でて終わった。でも、その時から、こう思った。
「古本の雰囲気とかまあよく分からん、けど、めちゃくちゃ、てかなんかもう、ええやん?あーーーー好きかもしれん、てか好きだこれ!!!!」
ビビッと、何かがキた。それから、高校の学内をまるで宝探しでもするように歩き回った。静かに眠る本を掘り返して、口付けをするように(実際はしてないよ!)顔を近づけて古本の匂いを嗅ぐ。その瞬間、私は恍惚という言葉の意味をしっかりとした実感を持って受け止めた。時を超え存在する本に触れることの幸せが、胸にこみ上げる。装丁を見るのも楽しい。地味でも味のある装丁、派手で美しい装丁……作家や作品、編集社により違う多種多様な装丁に見惚れる。図書館以外の廊下の端にひっそりと佇んでいる本棚や書類棚を見つけては、人目を盗んで潜り込み、時には校友室の奥深くにある鴎外全集に嗚咽を漏らすこともあった。他にも教師ですら把握していない高校内部の多くの古本たちを掘り返したりした。時効だと思うので話すと、図書館の閉架(鍵付きの棚)をいじくり回して(古かったので簡単に鍵が外れた)勝手に高村光太郎の初版本や芥川龍之介、永井荷風、宮沢賢治など著名な作家の復刻版を持ち出して図書館の奥の隅でひっそりと読むようになった。ちなみに後者は鍵を外していることがバレてしばらくの後に鍵が新調され、さらに厳重になって取り外せなくなったので、これを読んでいる学生諸君はきちんと図書館なら司書、それ以外の場所なら国語教師に頼みましょう。いい子は真似しないでね。
他にも私は理系だったので廊下にあった谷崎の掘り出し本を借りに行ったら国語教師に「共通テスト大丈夫?」って聞かれたりもした。平日5時間休日10時間みっちり勉強してまーーすバッカヤローー!と心の中であっかんべーしていたけれど、今思えばそんな文句(文句?)をする暇があれば、そんな声をかけられないぐらい勉強しとけば良かったな〜とも思う。
本当に、念の為繰り返すけどくれぐれも蛍草のように、勝手に本を持ち出したり鍵をいじくり回して閉架図書の有無を勝手に漁ったり開きにくい棚をそっと覗き込んで古本の匂いを嗅ぎつけて開けようかなとワクワクする宝探しみたいな真似はしないこと。楽しいけど。……楽しいけどね!!ダメ!!!担任にはバレなかったけど、司書には気づかれてたと思う、特に注意されなかったけど普通にダメなので本当に真似しないでね。私は破天荒少女で見逃されてただけなので(多分)。
なんか、話脱線するなあ。
それからセンター試験の過去問で上林暁に出会って、初版道さんの或るツイートから太宰治と上林暁の関係性を掘るようになった。関連したツイートを見つけ、さらに調べを進めていく。その過程のひとつひとつが楽しくて、知的好奇心を満たす愉悦をきっかけに、私は文学という沼に浸かっていくようになった。そうして色々と調べて、初版道さんだけでない上林暁関連の人たちと仲良くなっていっていた。そんなある日、私はふと、自分の原点を振り返っていく中で、初版道さんのことが気になった。あんなに古本持ってる人間、相当のオタク(言い方!)じゃないと無理でしょ。何者??と思い始めたのだ。
ちなみに一時期初版道さんって裏垢ないのかな……とドギマギしながら探してみたこともある。ただネット検索能力に著しく欠ける私は探すことができなかった。てか探そうとしてるのがアホすぎてやめた。ネトストかよ。違います。
そうしているうち、ひょんなことで初版道さんが教授だということを知った。それでようやくあのツイートの詳しさとか持ってる資料の多さに納得した。はーーーー、そういうことね。
でも、今となっては教授というより古本集めるのが大好きな人、という印象が大きいなと感じている。(私の中で、ってことね)
なぜなら正直、研究者を目指す今の私は、今自分が勉強している研究分野に対して、初版道さんのような愛情(愛情と呼んでいいのか分からんけど)を持つことはあまりないからだ。どちらかと言うと私は専門分野に関しては、命を捧げてもいいと思うぐらいの、愛情というよりも「尊敬の最上級」という言葉の方が近い。畏怖の感情に近いのだ。その一方で視線は冷徹そのものであろうと心がけている。だけど、初版道さんの文学に向ける感情は私のような感じではなく、むしろ余裕があるように見える。ゆったりしていて、何というか、慈愛?みたいなもの。ふわっとした布団に大事に大事に好きなものを貯めていくような、そんな感じ。それが私の周りにいる教授や研究者とは異なるので、研究者らしくないなあと思うのである。勿論、私の観測域内の話なので、偏見も含まれていることは重々承知である。
でも、それが悪いことだとは思わない。むしろ逆だ。きっと初版道さん自身のスタンスで、そうしているのであろうということがわかる。だから、素晴らしいなあと思う。そういう姿勢が取れない私は、そういう慈愛の心を持って古本や作家に接している初版道さんを尊敬する。だから、まあいわゆる「推し」みたいな感じに初版道さんを見る流れになるのは、何らおかしくないだろう。
余談だが、そんな「初版道さんオタク」であり「自称弟子」である私はバレンタインにツイートされる初版道さんと奥様の太宰治の小説を巡るお話に、芥川龍之介のラブレターを初めて読んだ時と同じくらいときめいた。頭が真っ白になって「ナニ……?コレ……?」みたいなことしか言えてなかった。うん。ちなみに最近は初版道さんがツイートするたびに一番最初にいいねが取れるかを楽しんでいたりもしている。(オタクを超えてただの変人である)
……ただ、そう、ただ!!!!元来自分は人間に対して信仰のような盲信をすることが不得意な人間。ゆえに、全てのツイートに「うわ!!!好き!!!」というテンションにはならない。むしろ師と思うからこそ、シビアな所がある。例えばこないだの新潮文庫:川端康成「少年」を読んで、私は解説があまりにも不快すぎて本を投げ出したくなった。もしこの解説エッセイを初版道さんが選んだとしたら、完全に時代とミスマッチだと私は思う。てか、正直これは人選ミスったなと思っている。あと時折、ツイート読みながらなかなか言葉が強いことがあるなと思う。決してそれは悪いことをツイートしているわけではではないのだけれど、本当の意味で「言葉が強い」のだ。それは私の第一の師である仲野徹氏も同じで、そういう時私は自分の頭で「自分ならどう考えるか?」と考えるいい機会だと思うことにしている。そうした機会を与えているつもりは(本人には)なくとも、私はそういうふうに捉えているし、それで学ぶことが多い。それは牧野富太郎が言う、「雑草という名前の草木は無い」というのと同じだ。何も知らない人からしたらただの雑草かもしれない。しかし、目の前にはいろんな学ぶべきものが転がっている。どんなものも私の血肉となり得る。それは文学の世界に足を踏み入れて初めて感じたことだ。
そういう意味でも、初版道さんは私にとって「師」なのだ。かなり、というかずいぶんと勝手だけど、そう思っている。まあ佐藤春夫だってたくさん弟子がいたと伝えられているけれど、その実あの人が弟子を全員覚えていられるのか極めて懐疑的じゃない?自称した人間だっていただろう。(いや知らんけど!)それと同じで、私だって尊敬する人の一人や二人、弟子を自称して学んでいったっていいじゃない。そう自分勝手に思っている。そして、自分勝手にもそれを本人に書き送っている。そしてその手紙を全体公開し、ある種エンタメ化として自分をアピールしている。(勿論許可を取った上ではあるが)まあ要するに変な奴である。厄介なオタクでもあろう。
むろん、私を初版道さんの本当の弟子にしてもらうつもりはあまりない。けれど、初版道さんが導いてくれた古本蒐集、また文学への道を、私は心から感謝している。そして、私はこの感謝を、これから私が出会う人たちに向けていきたいと思う。私は私自身の力で、もっともっとこの道を広げていきたい。
そう思って始めたことは、今少しずつ花を咲かせようとしている。そもそも私は初版道さんのように文学を専門にしているわけではない。(理系の研究職を目指す田舎の女子大生である) けれど、センター試験の過去問で出会った上林暁にすっかり傾倒するようになり、様々な形で上林暁に関する発信を行うようになった。上林暁顕彰会にも最年少で入会して、上林暁文学館のTwitterアカウントを館長からノリで(!)勧められ、運営するようになった。先日は上林暁の孫・曾孫の方とお会いする機会があり、上林暁の長女の方から私の本名入りの直筆サイン(献呈署名本のようでドキドキした!)を頂いた。このどれもこれも、スタートは初版道さんの文学に関する日常ツイートとその関連で調べたさまざまな人達のツイート、及びセンター試験の過去問で出会った上林暁の作品「花の精」がきっかけである。感謝の一言では済ませられないほど、不思議な縁と幸せを噛み締めている。
こうしたことを踏まえて私は、今度誰かにとっての「初版道さん」のような存在に、なりたいと思う。この手紙はそういう一歩を踏むための、決意表明という意味もある。
そうして私は、日々周りの人への感謝と愛を抱いて、今日という日を生きていくつもりだ。それが何よりも私の生き甲斐だから。
そうやって、意固地だった自分が少し素直になろうと思えるようになった最初の最初の1歩は、やはり3人目の師・とーやま校長からの学びが大きいといえる。最初、大好き、途中、嫌い、今は大好きな愛すべき10代のカリスマ。3人の師の元へ届く手紙の「トリ」は、彼が適任であることを私は信じて疑わない。