ある違和感の正体
晴れた日の節分に、今日は市場でとりあえずマスを買ってみたモッピーです。こんにちは。
燻製されていて一尾3.5ユーロ。ちょっと臭みがあったのですが、オリーブオイルとレモンでさっぱり頂きました。
今日はこっちに来て感じていたいろんな違和感が、倫理のレポートを通してちょっとスッキリしたかもって話。 ( #8in さんイラストありがとうございます)
前回の記事の通り、倫理の授業のプレゼンでFukushimaを選んだ私。これはドイツに来て割と早い段階から、いずれきちんと主張できるようになろう。というか論破してくるから徹底抗戦せねばいかん。と感じた大きなテーマであると同時に、議論を避けるようになったものでもありました。
面倒だから。
ドイツに来たばかりの私は、ゴミの仕分けすごいな。偉いなぁ。とか、スーパーに行けば、ビオの野菜美味しいし安いし幸せー!とか、ベジとかビーガンとかすごいいっぱいあるけど、ビーガンチーズは意味不明だ。とか、雨でも風でも構わず自転車に乗っている彼らとの新しい生活を素直に楽しんでいました。
その頃の私の認識は、ビオは無農薬の有機野菜。ベジタリアンは屠殺現場の動画を見たら動物が食べられなくなった人。くらいのものでした。
食料を増やすために自然破壊とか技術開発まで発展させておいて、いただきます!で何でも食べない世界はちょっと過ぎた好き嫌いじゃんって思っていたのです。
ですが、しばらくしてそれらが、「ライフスタイル」と言う颯爽としたイメージとは違う、彼ら自身の生き方と哲学を主張する物凄く重要なものかもと気づき始めます。
ドイツでビオやベジタリアンが盛んなのは、環境問題意識へ起因するからでもありました。
私が家で簡易スープを作っていた時に、シェアルームの子が不機嫌そうな顔で
「その会社は大手企業。大手企業は大量生産で環境破壊してるから私は買わないしモッピーもやめて」と言ったことに始まります。
「え、でもさ、お腹空いてて必要な時にあれば、手近なところで買ちゃうよ、安いし」と言った私。
そこから炎上。始まる説教。
わかった、わかったよおおおおお。大企業の大量生産が、大量消費とCO2の生産につながるのね。
だけど私にはビオももはや大企業。私も負けじと質疑応答。
美味しいから選ぶならわかるけれども、末端活動の影響力に不信感のある私には、あまり説得力がありませんでした。じゃあなんか他のやり方で社会の構造変えないといけないんじゃないの?とか言ってみたり。
結果疲れた私は「クノール買うとなんか面倒だからやめとこ。」となりました。
その頃から敏感になりはじめます。
ベジタリアンも「ダイエットのかっこいい言い方」の子が周りに数人いたり、「動物が好きだから食べれない」って言ってた子が隠れて肉食べてるってそれさ、
「ベジとかビオとか結局ファッションなのかい?」
だからちょっとひねくれ系のモッピーは半年過ぎた頃からちょっと説教くさくて自分語りの多い人の多い、ビオベジの人たちが苦手になります。
「ああでた、またナチュラル意識高い系か」とか、「牛とか豚は動くからダメで植物は動かないからオッケー。ってもう、朝顔の観察でもしてろ」とか、
オーガニックとかナチュラルって言いすぎる不自然な人たちって思っていました!
ビオベジ活動会報みたいな会話に疲れちゃったんだな。私は。
ちなみに、こちらの卵には0、1、2とか番号が印刷されていて、その卵を産んだ鶏がどのような環境で飼育されたかがわかるようになっています。
そして、鶏のことを考えて、0のみを買うことで、過酷な飼育環境の鶏を減らしていこうと、消費者が活動することができます。
それを知らずに2を買って卵焼きを作り、運悪く見つかった挙句、鶏の生育環境について滔々と語られる。
ええ、向こうは親切心。でも私は怒りのモッピー。
「卵に番号ついてるってなんだよ面倒臭え。じゃあもう全部放し飼い(0)にしてくれもう高くてもいいから。卵が必要な奴はなんでも買うぞ。不便すぎ!なんなんこの国!」と
もはやフラストレーションの塊になっていくのです。
そんな頃、福島について聞かれることが増えていきます。
原発と捕鯨から始まる環境への配慮についての議論。汚染物質を流して生態系を崩して人類を危険にー…?とか エゴとウソの捕鯨再開? 私は彼らの強い主張に情報や歴史の認識の違いを認めない失礼な人たちだなぁ。と嫌悪感を抱きはじめます。ながらも、ドイツ語で満足のいくほどの反論はできないし、腑に落ちない論議が繰り返される流れと、無作法な言葉に何度も何度も悔しい思いをします。
違う!私たち日本人は自然を敬う。そして魚類を愛している。と。
爆発寸前の私はもはやそんなテーマに疲れ、お前の目の前に本物の日本人がいるぞ、直接聞け。とか、 日本人がどうやって自然と共生してきたか知るべきだとか、千尋もいいけどもののけ姫を見ろバカヤロー!(見苦しい言葉で失礼)と、ふつふつととめどなく湧き上がる怒りを抑えた挙句、
「そのトピックは気分が悪いから話したくありません。」
と言うだけ。
情けない。
そんな私自身がここからこの「倫理」という言葉を通して、そのもの持つ幅や価値観の違いを掘り下げられた気がします。社会と人々の認識となんとなくある会話の違和感の出どころをちょっと覗けた気がしました。
私は魚を愛しているし、魚を食べます。
でもウサギは食べれない。愛してるけど。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
明日はこの原子力発電と倫理の内容を記事にしたいな。
今日もみなさまに素敵な1日を!