~ジパング花ごころ~梅の花園へ(偕楽園散策・短歌)
1.梅の花園へ
「春一番……」
実は、それよりも前に
桜前線よりも前に
春の足音を知らせてくれる花がある。
それは、
「梅」(Ume Blossoms)
「春告草」と言われ、
「百科の魁(さきがけ)」という諺もあるように
まだ寒さ厳しい時期に(品種によっては12月頃~)
他の花に先立ち花を咲かせる。
でも、日本の春のと聞いて浮かぶ花は、
たいてい「桜」(Cherry Blossoms)
寒さやわらぐ春の陽気に誘われて、桜の名所へ赴く
というのが、一般的かもしれない。
一方で、日本の春の花が「梅」だった
奈良時代までタイムスリップ!
その頃に成立した日本最古の歌集「万葉集」には
桜よりも多い、118首もの梅の歌が詠われている。
そんな春の梅を嗜む心は、時を超えて…
令和の時代にふたたび脚光を浴びることに。
万葉集の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」から
「令和」(元号)が誕生!
歴史の不思議を感じながら、
今回は、和歌に想いを馳せながら
梅の名勝地でもあり、日本三大名園の一つ
「偕楽園」へ行ってきた。
梅の花について、奈良~江戸~現在まで回想した後、
園内散策の様子を写真と短歌を添えてリポート。
梅の花の奥深い世界をお楽しみください。
2.ジパング花ごころ(=心の旅)
実は、梅の花をじっくり鑑賞したのは今回が初めて。
梅の名所、大宰府天満宮に行ったことはあっても、
花見シーズンはとっくに過ぎていた。
梅が名花だという知識はあっても、華やかな桜ばかりに心奪われ、
すっかり風化していた梅の花鑑賞。
その反省から、今回は、桜より一足早く梅を鑑賞しようと
その名勝地であり、日本三大名園の「偕楽園」へと赴く。
そして、訪れてみて初めて気づく。
梅は、桜とは違う魅力が満載だと。
何と言っても、歴史が古い。
奈良時代末期に成立したとされる日本最古の歌集「万葉集」には、
春の花として、桜より多く詠まれている。
四季を通しても、「萩」の次に多い。
一方で、本来、梅は中国から伝わったとされている。
平安時代の国風文化の流れから、日本独自の桜鑑賞の文化が発展。
詩歌も桜の方が多く詠まれるようになる。
そして、江戸時代(桜も人気があった時代)
水戸藩九代藩主・徳川斉昭が
梅の花の植栽とともに「偕楽園」を創設。
園内では、中国、禅の思想など基にした
斉昭の世界観、独創的な設計について紹介されていた。
「好文亭」では(次の章で紹介します)
詩歌や漢詩が綴られた書の展示もあった。
剛勇な武士が、庭園を眺め、
梅の花を愛でる姿は想像しがたくも、興味がある。
それも含めて、教育の一環だったとするなら
文武両道を超えて、閑武両道?
質素堅実な禅を基盤とした教養に
茶の湯とは少し違う、雅な遊び心を感じる一面も。
果たして現代は?
日本の国花「桜」「菊」を横目に
桜の陰に隠れていた「梅」は、
令和に息を吹き返すように、その心を蘇らせ、日本の元号へと昇華。
その由来となったのは、万葉集の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」
時を経ても変わらない
春の訪れ、花鳥風月、その心の動きが感じられる。
日本政府が海外メディアへ発表した「令和」の英訳が
「ビューティフル・ハーモニー」
日本人ならではの独特の感性、この解釈にうっとりする。
それだけに、令和の時代がそんなふうになってくれたら……
と願わずにいられない。
おしろいのような白い梅、匂い立つ花の香り……。
梅の花は、香り高い花としても知られている。
鑑賞だけでなく、果実も食せる…
斉昭は梅(梅干し)を、軍事や飢餓の供えにしたとのこと。
今では、ご飯のお供、日の丸弁当に欠かせない食材~梅酒等々、
幅広く重宝されている。
今回、梅には、時代を超えても変わらずに、
日本の心を感じさせる〇〇があると感じた。
それは、桜とはちょっと違うもの。
(次章以降で詳しく)
その流れから、
太古の人々と心かよわせるように
素人ながら短歌に挑戦することに。
そして、今回は大失敗があった。
望遠レンズしか持って行かなかったこと。
→小さく分散して咲く梅を上手く撮影できなかった
マスクを当たり前にしていたこと。
→梅に香りをすっかり嗅ぎそびれた
思い通りに感動を伝えきれないモヤモヤ感。
「この一瞬を歌にしたい!」
写真の無い時代のそれは、もっと切実だったに違いない。
少しだけ、昔の人と繋がれたのは、偶然の喜びだった。
3.偕楽園で梅鑑賞(景勝地を巡る)
東門の入口周辺は屋台で賑わっている。
梅にちなんだ食べ物~魚の串焼き
梅酒、梅茶~お菓子など飲食、他、土産の屋台がひしめきあう。
地元ムードに溢れた雰囲気。
近くでは、水戸黄門を彷彿させるお猿さん芸もやっていた。
①東門入口→見晴広場・仙奕台
東門をくぐり、広がる見晴広場は
斉昭が演出したという陰陽の「陽の世界」
歴史ある庭園といっても、皇居の桜とは違った風情がある。
もっと古風、雅な印象で
楽器で言えば雅楽とか、琴が聞こえてきそう。
(実際、琴が流れている場所も)
絶景と言われる「仙奕台」へ向かおうとしたとき、
ふと、梅の先に、斜めにそびえる松の木に目を奪われた。
ここは、僊湖暮雪碑(せんこぼせつひ)周辺
千波湖を見下ろす水戸八景の一つとされているだけあって眺めがいい。
仙奕台周辺は、松の木が点在している。
江戸時代の絵画にありそうな風景。
園内は、着物を着て歩きたくなる雰囲気がある。
でも、実際は少数派(自分も含め洋服の人が多い)
いっそ着物オンリーの「着物デー」があったら
気分もあがり、面白そう。
散策の途中、上品な着物の女性を一人、カップル一組とすれ違う。
他にも、水戸らしい着物(黒と黄色)を着た
梅大使の女性達が並ぶ、撮影会もあって華やかだった。
②南門周辺
南門の周辺にある、水戸六名木の一つ
「柳川枝垂」を鑑賞。
花の形、香り、色が優れているのだそう。
園内の梅の花は、まばらに咲いている。
早咲きで満開の花、これから咲く芽や蕾と様々……。
一斉に咲き、一斉に散るソメイヨシノほどの華やかさはなくても
春の訪れをたった一輪で語る健気さがある。
この後、偕楽園碑を観てから、好文亭の芝前門へ向かう。
③好文亭
うっそうと茂る「芝前門」をくぐり、
「好文亭」の敷地内へ。
木造二層三階建ての「好文亭」と木造平屋作りの「奥御殿」から成る
斉昭の別邸であり、藩内の人々と楽しむ場として設計。
薄暗い館内へ。
様々な小部屋の襖には、鮮やかな花木や竹などの絵が描かれていた。
そして、しばらく進むと、目の前に梅の木の景色が広がる。
京都奈良の寺社や神殿とは少し違う趣。
建物の中、風景が自然と融けあうように調和。
暗い部屋には煌びやかな襖。
ところどころに詩歌などの書も残されていて
素朴すぎず、派手すぎず
リラックスできる心地よさがあった。
といっても武士道の流儀、お城のように防衛的な要素も取り入れた
複雑な構造、工夫がなされていて、
それが一体化した他にない独特な雰囲気があった。
④孟宗竹林→吐玉泉→表門
「孟宗竹林」へ
斉昭が演出した「陰の世界」
鬱蒼と茂る竹と大杉がそびえる静寂な場所。
近くには、目の病を治すという湧き水「吐玉泉」
名勝地と梅とのコラボレーションを味わったところで、
(特に好文亭の詩歌の展示を見て)
突然、短歌を詠みたくなった。
なぜだろう?と思い返せば、
梅には、桜とは異なる「恋」を連想させるから。
江戸時代に造られた庭園なのに、
奈良・平安までタイムスリップしたくなる。
今でいう「花贈り」が、「花詠み(恋文)」だった時代へ。
桜は、どちらかというと咲き方も華やか。
桜の商品もお洒落に、様々な形にアレンジされるから。
「動」のイメージ
春の花という象徴以外に、
卒業、出会いと別れ、人生とか自然のような壮大なものを連想する。
同じ「恋」でも、範囲がもっと幅広い印象。
一方、梅は、もっと神秘的で「静」のイメージ
花が芽生えるように自然で純粋な「恋」の印象が強い。
恋歌が圧倒的に多い和歌が親しまれた時代。
桜も多く詠まれているものの、
現代の華やかなソメイヨシノに見慣れていることもあり、
「純粋な恋」をテーマにする場合、梅の方がしっくりくる。
(あくまで個人的見解です)
表門周辺~Uターン
様々な梅の花木が広がる「東西梅林エリア」へ
4. 梅の花園で短歌を詠む(東西梅林エリア)
梅の木が広がる「東西梅林エリア」へ
万葉集の一首
「わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも」
(作者:大友旅人)
忙しい現代では、「白い梅の花が散った」だけで、
「だから何?」と素通りされることもあるかもしれない。
お金を生み出すわけでもない、形ある何かが得られることもない
むしろ、「(上手いか下手を)競いあうこと」に、
興味をもつことも多いかもしれない。
徳川斉昭が、詩歌など道楽にも興じていたということは、
武士にとっても、「歌」は価値あることだったと想像する。
個人的には、自分の想い出として残す、
または、それを伝える、そして心を通わせるなど。
むしろ「遊び」のイメージ
そんなところに魅力を感じる。
今は文明の利器があるから……と、それも否定できないが、
写真、絵、ラブレター(古い?)代わりに…
あえて心をのせて太古の人々の気分に浸ってみることに。
この後、和歌の世界に想いを馳せながら
散策中に短歌を詠む。
(実際は、帰宅後に推敲している)
梅の木は、花だけでなく枝の存在感がすごい。
まだらに咲く小さくて可愛い梅の花と対照的で、
くねくねと力強く交差しあう。
その隙間から梅の花が幾重にも連なっているような梅景色。
その梅の枝姿さえ、
すれ違い、もつれあいながらも、微笑ましい「恋」をイメージさせる。
そして、少し黄緑っぽい色の梅の花を発見!
とても愛らしい姿に見惚れる(なのに、名前をメモし忘れた)
そして、反射的に身体に変化が。
浮んできたのは、「恋」より「味」が先だった。
「青梅の花見て溢る吾の舌酔ひてシードルの泡沫へ」
その味覚から、あるデートの思い出が蘇る。
「この舌が恋しがる赤らびて君と見つめた昼下がりのシードル」
様々な梅を前に、
点々と小さく散らばる被写体に苦労しながら、
望遠レンズを構える。
何か味わいをプラスしたいと、
春の風物詩、梅の木とメジロのコンビをイメージ。
でも、小鳥はなかなかやってこない……。
その代わりに、素敵なハーモニーを見つけた。
梅の木を見上げると、
青空に太陽の日差しが、ぼ~っと月のように梅を照らしていた。
(その太陽も上手く撮れず、涙)
素適な景色は、素適な人と一緒に見れば、
現実がもっとステキに!
そして、奇跡を呼ぶ? そんな光景を思い出した。
でもその光景は、思いがけずふいに現れるから、
シャッターチャンスも、感動も風化しがちだ。
だからこそ歌にする価値がある。
「ただのスカイブルー君と見上げれば目に潤む月虹のミラクル」
梅の花はコロンとかわいい姿をしているものが多い。
近づいて見ると、雄しべが長くて立体的。
一方で、満開の枝垂れ梅は、とても華やかで優雅だった。
桜にも負けないほど、花が立体的で重厚感がある。
そして、早咲きの梅~次の梅へとバトンをわたすように、
その一生の時の流れを包み込んだ、一つの絵のような景色をつくる。
芽が出て、蕾となり、花が咲き、散り、地面に落ちるまでを
まるで何かを語りかけてくるように。
「恋」を超えた「愛」?
その感じたまま(古風な気分で)を言葉に。
「蕾へとバトンつなぎし散り残る花びら殊にいとほしきかな」
小さな梅の花の世界にも、生命の重み、絵画のような風情を感じて。
「花びら幾重にも散りて盛る梅から聞こゆ幽玄の心音」
園内は、広々としていて、まるで競技会のように、
色とりどり、さまざまな品種の梅木が植栽されている。
陰陽の世界観、風光明媚な景観、梅の木のコラボレーション他。
江戸を超え、古来の貴族の遊びまでも連想してしまうような
古風な雰囲気が楽しめた。
5. まとめ
桜が日本の象徴となる前の古来の梅・桃を嗜む風習は、
今も行事として引き継がれている。
和の心、ビューティフルハーモニーとともに、
雅な春のひとときを☘
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