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ひとの人生を旅してみた
自分の人生ばっかり大変で、私ばっかりつらいと思ってました。
点数化できるもんならば、かなりのハイスコアを叩き出せる波瀾万丈な40年あまりを送り、ひとことで言うならば、もはや息も絶え絶えでした。
どうしようもなくなったのでカウンセリングに行ってみた。
それでも全然どうにも埒があかんと、NLPも勉強し始めた。
まだまだ全然つらすぎると思って、並行してキネシオロジーにも手を出し、自分でいろんなかいものを解放し始めた。そう、次から次へと。
潜在意識にはなんでもある。おそろしく些細なものから、一人で開いて見るなんて到底できないほどに重大におそろしげなものまで、それは大変な品揃えなのです。
ひとつひとつを取り出して、恐る恐るふぅっと吹いてほこりを払い、涙で拭き上げて磨き上げる。たまねぎの皮にも例えられる1枚1枚をはがして、少しずつ取り出して温めてゆく作業を、えんえんと繰り返す。
だいたいは近所で大根を買いそびれたくらいのささやかな出来事を癒やし、そして時折ボスキャラが突如現れて相打ちになりそうになりながらトラウマを癒やすということを地道に2年くらいやってきた。
これね、随分と本当に、楽になるんです。大変だけど。
あぁすごいと思った。
こんなに素晴らしいもの、みんなで共有したいと思った。
自分でやるにはどうしても、死角があったり対面する勇気が出ないものもある。でも誰かが伴走してくれるなら、糸はずいぶんとほどけやすい。寂しくないって怖くないということなのだ。怖くなければ驚くほど神髄に近づける。
友人数人に、ちょっと受けてみてよこれ、と声をかけた。
もともとラポール(信頼関係)のある間柄なので、すっと深く一緒に潜ってゆける。そこにはそれぞれ、大きなドラマがあった。圧倒されるほどの悲しみや、世界が崩れ落ちそうなほどの罪悪感やこころ残りがあり、大切な人にかけてあげられなかった言葉や、大海原のような優しさがあった。どれもこれもが、優しさから生まれ出たものだった。
相手が涙を流せば同じだけの感情が流れ込んでくる。
冷静に聞いていたはずなのに、ふたりでざぶざぶと泣いている、そんなことが何度もあった。ずっとちっちゃくぎゅっと押し込めてきたエネルギーをぐんと引き出す時に、すべてが入れ替わる瞬間がある。
受け取れなかったメッセージを受け取った瞬間に、こんどは凪が訪れる。それは静かで、あたたかい。
発端はどれもこれも、きらきらとした純粋なかけらだった。意味を拾い誤ったり、やさしすぎて誰かに大切なものを譲ってしまったり、疲れすぎてて限界だったりしたところから捻れてしまったエネルギーが苦しさになる。
あぁすごいと思った。
こうやって光を取り戻すことができると思った。
なんて優しい世界なんだろうと思った。