8月下旬あたりから、「なんだか不調」が始まり お盆の仕事けっこうハードだったから疲れたかなとか思ってるうちに なんとなくお休みの日にぎっしり娘の学校行事が入ったりして 全然満足に身体を休めることができず そして9月に入ってまるで祭りのようにダウンした。 わっしょいわっしょい、よいさよいさと不調が押し寄せる。 全然起きれない、しんどすぎる。 それでもなんとなく、だましだまし生活してたら ある晴れた日、右目の痛みをセルフキネシで解放した時に すぽんと栓を抜いたみたいに、 い
見たくもないものを見てしまって、 知りたくもないことを知ってしまった。 そんな言葉が自分の口から出た途端、心底納得した。 視覚からの情報収集がろくに機能していないと思っていたから。 あ、これがストッパーだったんだ、とそう思った。 心理ブロックと呼ばれたりもするこのストッパーは、自分に降りかかってきたやるせない出来事やうずまく感情により、「こんな思いもう二度とごめんこうむりたい」と心に決めたとき、うっかり取り出してしまわないよう、奥底にしまい込んで鍵をかけてしまったことで
あ、すごいと、ただそう思った。 千載一遇の、試食というものの機会にあずかった。 コース料理のうちの数品をほんのひとくちずつ頂いた時に、ただただ驚いた。 おいしいとか味の濃さがどうとか、鮮度がどうのとかいうより、うまく言えないんですけれども全然、エネルギーのアウトプットがこんな形になり得るのかと、そんな風に新しい世界を垣間見た。 LEDの懐中電灯って光が直線に伸びるから、正面からまともにみるとすごく光が強くて眩しいのだと聞いたことがある。そんなかんじ。 料理というものに
私よりもちょっとだけ背の高い友人が、ニットを一枚ゆずってくれた。ルビーのような美しい赤のカシミアニットであった。 身長149cm、5号サイズは決して標準寸法ではない。服の一枚を探すのに埋蔵金を探すくらい苦労する。果たして彼女は、洗濯した際にまんべんなく縮ませてしまったらしく袖丈まで私にぴったりだった。今後とも彼女の卓越した洗濯技術に期待したい。 そんな心優しい友人へのお礼に、セッションをひとつオファーした。 生活の中で大変に不便を強いられているのだと、彼女はそんな状態を
自己肯定感とか自己承認とか自己価値とか、そういうものときれいさっぱり無縁に育ったので、40も過ぎてから探検に出始めた、どこで手に入りますかそれ、と。 どうやら自己肯定感がもてると夢のような世界がひろがるらしい。そんな蓬莱の玉の枝が欲しいと思った。やたらめったら闇討ちにあうこともなく、穏やかに毎日を過ごしたい。どうしてこうなんだいつも私、と。 こういうのを考えるのは、お風呂の時がおすすめです。後ろに誰も待っていない最後を確保してどうぞ、やたら長湯になりますので。 なぜお風
田舎でシンプルライフを送っているので、今生における楽しみはもっぱら、心理ブロック解放に尽きます。つつましい道楽です。かたわらに居て下さる人のブロック解放のお手伝いもしたいし、自分の解放にも目がありません。 「目」と言えば以前の老眼に続き、また別の解放もありました。遠くから見る視力が良いのと眼力強めだけの目だと思っていましたが、新機能に気づきました。Apple Watchなのに時刻の確認目的でしか使っていなかった、というかんじです。目って実はだいぶ便利でした。 本日は目の話
自分の人生ばっかり大変で、私ばっかりつらいと思ってました。 点数化できるもんならば、かなりのハイスコアを叩き出せる波瀾万丈な40年あまりを送り、ひとことで言うならば、もはや息も絶え絶えでした。 どうしようもなくなったのでカウンセリングに行ってみた。 それでも全然どうにも埒があかんと、NLPも勉強し始めた。 まだまだ全然つらすぎると思って、並行してキネシオロジーにも手を出し、自分でいろんなかいものを解放し始めた。そう、次から次へと。 潜在意識にはなんでもある。おそろし
NHKとPTAくらいしか短縮語を知らない私が、NLPを始め、VAKというものに出会った。どっちも全然意味不明でした。 まずNLPは、コーチングの類いに入れられちゃっているのでしょうか、私はちょっと、人生の海原で漂流していた折りに神頼みに行った足で(足で?)ひょいと流れ着いたのだけれども、首をつっこんでみたらとんでもなく面白かった。 そう、そして今日はその中でもVAKについてです。 VAKの意味するところは、【視覚】【聴覚】【体感覚】の3つの感覚器官のいずれを通して情報を
前回の続き。 初期(←と信じたい)の老眼により、職場でのパソコン作業があまりにも右目にこたえ始めて難儀した。右目が痛いのでメガネが欲しいと言っていると、それってなんか違うんじゃないかと何人かから言われた。確かにそうかも。 少なくとも20年前には既に、目の左右差がとても気になっていた。まぶたのかたちも全然違うのだけど、なんて言うか、最大の違いは、右目はあまりにもらんらんぎょろりとしていて、たぶん1mm くらい黒目の位置が左目よりも高く、そしてたぶん若干小さい。だからまっすぐ
子供の頃から視力が良い。両目1.5以上です、覚えてる限り。 じゃぁ何でもよく見えるかというと、遠くは何でもよく見える。道路標識とか薬物乱用スローガンの類いならば、もはや結構どこからでも読める。ただし手元の小さな文字に関してはウデの長さが不足しているのではないかと危機感を感じ始めた。まことに残念だが老眼であろう。身長149cmの腕はそんなに長くない。こちらも大変に残念。 日がな一日中パソコン作業の中、右目がやたらに痛み始めた。目が痛むと頭が痛み、首から腰まで岩のようになる。
足が痛い。もう歩けない。くるぶしがもげそうなのよ。今日はよく歩いたからね、と自分をねぎらおうとして、全然大きくない本屋とユニクロを歩いただけだということに気がついた。 そんな、くるぶしがもげそうなほど歩いていない、決して。 なんでだっけね、あぁ普段履かない靴ひさしぶりに履いて歩いたからだわねと思いなおし、待て、だから歩いていないじゃないかともう一度気がついた。 そうでしたそうでした、私はお昼にパンを食べたんでした。以前腰椎椎間板ヘルニアをやって、あれって痛みは腰に出るわ
いかんせん寝起きが悪い。とにかく起きれない。 大きな音で辛抱強く何度もスヌーズを鳴らしてくれるアラームに、設定時刻の30分前からだんだんと明度をあげてゆく器用な光る目覚まし時計に、起きれたらば飲める極上の紅茶にと幾多ものお目覚めグッズであの手この手で攻めてみても、ちょっとやそっとでは私の眠気は削がれる様子はないのである。根性ある眠気。 眠い。ちぎれそうなのよ、毎日。 そして今日はまた一段と華々しく、息も絶え絶えに眠かったので私は、人の念やらを疑ってみました。子ウサギみた
私はここ3年くらい、結構いろんなところでカウンセリングやセッションを受けまくってみたり、ずいぶん熱心に勉強して来たので見えてきたものもほろほろとあります。そしてどうやら、私「乖離(かいり)」して来たんだな多分、しかも日常的に。と思うに至った。 乖離ってその字の通り、離れちゃうのだ。自分というものから。 それって何なのかというところは実は掴みがたい。だって離れちゃってるから意識できないのだ。 聞くところによると、多重人格とか幽体離脱だとかも乖離の現れのひとつらしいのだけど
潜在意識の世界に夢中です。 普段わたしたちが考えるのに使っているのは【顕在意識:けんざいいしき】、理屈だとか計算だとか覚えとかなきゃとかがこちらです。 もうひとつの【潜在意識:せんざいいしき】は眠っているあいだに見る夢だったり、30年間一度も乗ってなかった自転車になんとまだ乗れたり、ぼーっと歩いてたら知らないうちに会社に着いてたとか、この人誰だっけって思ってたら3日後にふと名前を思い出したりというのがこちら。 顕在意識と潜在意識はよく、海からぴょろりと突き出した氷山に例
遠いわ。 島に暮らしています。自宅はオーシャンビュー、道を隔てて5m向かいが海。最近近くにコンビニができたので最寄り8km から3km に縮まりました。歩いて行けんとあんまり便利さ変わらんなというのが本音で、相変わらず慎ましく、夜食にもスイーツにも手を出せない生活が送れています。 シンプルライフ、否応なし。 こんなところに住めばストレスフリーと思うでしょうか? いいえ、そんなのありえなくってです。 どこに住んでても仕事のストレスは万国共通、人との距離感は都会に比べると
なるほど、先ほど2行はタイトルであったのかと思った。 1年も前にアカウントを取得したというのに、本当に書けなかった。 勇気がなくて。 人様におみせできるようなものなぞ私持ってないな、と思って。なのでなんでもいいからまず1ページだけ書いてみるということに決めて、そしてこれは出来不出来に関わらず消さないことにしました。今後の敷居を上げないために。 良いんだと思うこんなスタートで、と自分に納得させるために。 上の写真は庭にいたバッタです。何の変哲もなく、輝かしい経歴もたぶ