捻くれているわけじゃない。 天邪鬼な感じでもない。 ただただそれが正解だ!とは思わなくなった。 近頃心が死んでいくような、感情があまり動かなくなったと感じることが増えた。 以前は貰ったものの7割、いや8割くらいは真実だと信じていたと思う。 最近はその割合が変わり5割の半分疑うようになった。 そのせいか人の好意も偽善に変わってしまい 人がとても眩しく映る。 ネガティブな、少しマイナスな時に眩しい人を見るのは少し辛い。 今年はジト目をなるべくしないようにしないようにと意識
不安なわけではない。 かと言って楽しいわけでもない。 ただ自信がないのかもしれない。 今ではなく過去の選択をした自分が。 最近SNSを見るのがとても嫌になる時がある。 その前から実はモヤモヤがあったのかもしれない。 昔の恩師とすれ違いが起きた日からかもしれない。 若かった僕はやりたいを優先して 周りの意見に流されやすいそんな人間だった。 それ故の過ちがたぶん大きい。 そんな恩師のインスタグラムを数年ぶりにみると1週間前に持病だった足の手術をしたという。 すごく心配だっ
自分の価値観を理解してきた今日この頃。 最近「20代で得た知見」という本を読んでいる。 自分の性格上とてもメンタルが山あり谷ありなので、そう言った人の知見だったりマインドやメンタルの本をよく読む。 共感したり自分に当てはめると納得できることが多く、読んでいて凄く面白いしなにより楽しい。 恐らく僕は僕の人生の優先順位の上位に 常に「面白い」が来るのだと思う。 生まれの血筋のせいなのか ボケることが多く人に笑ってもらいたい。と 思いながらきっと生きている。 通勤の一つでも
会いたいと会ってはいけないが交差する2年と9ヶ月目に入ったところ。 未練はない。 4年ほどお付き合いをしていた人を思い出す。 物事を記憶から消すのが苦手だ。 一度深く刻まれたものはそう易々と消えるものではないと思う。 人は言う。 「時間が経てば乗り越えられる、忘れることが出来る。」 そう信じて今まで生きてきたけど、乗り越えることができた瞬間なんて一度たりともないし、この先もあるのかわからない。 しっかりと時間が経った今もう一度会ってみたいと思うことが最近増えた。 久し
カフェインの取りすぎなのか とても心が疲れて擦り減りすぎたせいか 心が健全じゃない時は、 夜に近くの川まで散歩をする事が多い。 車や電車の音がなくてただただ虫が鳴いて 風が吹いてる音しか聞こえない。 だけどそれでいい。 だからそれが良い。 最近はよく考える事がある。 生きている中で「これでいい」と「これが良い」という二つの選別。 20数年生きていて残り何年生きるかわからない人生。 妥協をして押し潰されて生きるのか、 自分を信じて感性を大事にするのか。 社会に揉まれると、
きっと僕は周りの人が思っているほど明るくはないし優しくないし自分のことが好きではない。 人からよく見られたいっていう感情とこんな自分で居ないといけないという仮面の下は、やっぱりまだ卑屈で人の事があまり好きになれないそんな人間だ。 心は最近とても波が激しくて「今なら何でもできるかも!」から「いつまで生きるのかな。」という程の波が日々を襲う。 この先どうしたらいいのかまだわからない、 そんな人間が人を幸せに出来るのか。 そんな感情が目まぐるしく荒々しく心で暴れ回る。
心が深い海に溺れて死んでいくような。 日の光も差さないずっと暗い場所に1人きり、 天邪鬼なのか差し伸べてもらった手を取るとさ、きっとその人しか信じれなくて他の人じゃダメだって思うようになるのが怖くて。 だからずっと人に頼るのが苦手で独りで生きていこうと決めた。 でもなんだかんだ独りじゃ抱えきれないほどの事が起きると誰かを探してしまう。 もし自分の器から溢れてしまったら心が壊れてしまうなって思っている。 自分自身が肌で感じるほど人からの期待値ってそこまで高くないと思う。
僕はポジティブな時よりも少しネガティヴな時の方が、noteだったり作品を作るってなった時に感情を表に出しやすくなる。 ポジティブな時は、その時が楽しいから1番にその感情を楽しみたいと思う。 逆にネガティヴな時は、知り合いには伝えることができないけど誰かに自分の中身を理解してもらいたいという節がある。 最近どうしてか素の自分っていうのを 隠して生きてしまうようになってしまった。 別に相手が嫌いなわけではなくてただただ理想とする自分は『明るくて誰からも好かれるような人間』だか
はじめまして、初めまして ひらがなと漢字。 世界には色々な言語があって色々な文字がある。 日本に住んでいても、ひらがな、カタカナ、漢字。 3つの書き方を使い分けれるだけでもきっと凄いのだろう。 普段僕は自分の思想や思考、感情をこんな風に何かに残すって事はしない。 それはきっと未来の自分の考え方が変わった時、昔の自分の考えを見た時に少し自分が嫌いになるかもしれないという不安があるからだと思う。 ネガティヴに生きている訳ではない。 ただマイナスな事を書いていたり、書いてあるこ