ロウソクに火を灯して
親は歳を取らないと思っていた。
父は毎日浴びるように酒を飲み、母もそれに付き合って飲む。父ほどの量ではないが母も酒を毎日飲んでいた。
コロナ禍で実家に帰る機会こそ減ったものの、我が家はとにかく顔を合わせたら酒を飲む。それがマナーでありルールであり、そんな教えのもとで育ったわけだから、例外なく今もそれは続いている。
「今日は久しぶりに酒を飲む」
実家に帰るたびに、両親のどちらかがそう言うようになった。父も母も、体調と相談しながら酒を飲む、「嗜む程度の酒」スタイルに変わりつつあるようだった。
一方自分は、基本的に毎日飲む。あまりに疲れていて寝てしまったときですら、一度起きて一杯は飲む。胃腸炎で寝たきりになったときも試しに一杯飲んでみたことがある。アルコールにより痛みは一時的に緩和したが、翌日再び地獄を見ることになった。
人生の苦境を迎えていたとき、とりあえず毎日飲みまくっていたことがある。そのときはもう、酒を飲むぐらいしかすることがなく、いくら飲んでも酔わなかった。その代わり、酒がまったく美味しくなかった。安酒とはいえ、あまりにも美味しさがわからず、むしろまずいと思って、結局1時間ほどかけて全部吐いたりしていた。そんな毎日が続いていたときだった。
惨状を見るに見かねた父が車で迎えにきた。半ば連行されるかたちで送還となった。
「悪い酒を飲んでいたからだ」
酒がまずくて吐いてしまったという話をしたことに対する父の反応だった。悪い酒、なんてあるのかと思った。酒なんてものは、全部良いか全部悪いかのどちらかだ。しかし、たしかに今思うと悪い酒でしかなかったと思う。気を紛らわすための作業と化した酒が良い酒のはずがない。酒に溺れてすらいなかった。ただ悪い酒を飲んで不味くて吐いていただけだった。
当時マンションを買ったばかりで、引越しの途中だった親の住まいは殺風景だった。スーパーで買ってきたビールと酎ハイを、引越し用の段ボールに乗せて飲んだ。まだ電灯もなかったので、ロウソクに火をつけてこぢんまりと飲んだ。
あれはたしかに、良い酒だったと思う。
あの人たちはもしかしたら、良い酒の数を増やすために、酒を控えるようになったのかもしれない。
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