【当たり前の有り難さを学ぶ】

日常当たり前である事が根底から覆されそうな事態になっている今だからこそ、普段気がつかなかった事に気づくことができる。

トイレットペーパーがある事。
スーパーに食材がある事。
身近な人に会える事。
そして、健康でいられる事。

これらの事に、この機会以前に心からありがたさを感じていた方はそう多くないと思う。

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東京都が不要不急の外出を自粛してくれと強く要請したこの土日。今日に関しては季節外れの大雪まで降った。

私は今日、どうしても必要な案件で出社と相成った。
流石に殆ど人はいなかった。会社には、ただ警備員と受付の方がロビーで着任していた。

こんな時にも警備はしなくてはいけない。思えば、平日だって休日だって警備は続けられている。
また私みたいな「どうしても」案件がある限りは、受付の方だって、いないわけにはいかない。

彼ら彼女らには普段そこまで光は当たらない。けれども、誰もが自宅で控える中でも我慢して着任されている彼ら彼女らは、最も尊い仕事を為している方であることが具に感じられた。

「お疲れ様です。お互い、健康には気をつけて。」

普段は喧騒と活気の会社内。
こんな小さな会話が、今日は静かにロビーに響いた。

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してみれば、
「当たり前」とは如何にありがたいことか。

最近、岡本三成著の『逆転の創造力』という書籍を読んだ。中にはこのようにある。

「かつて小中学校の教科書は無償ではありませんでした。それが一九六三年度から段階的に無償化が始まり、六九年度にはすべての小中学生を対象に無償配布されることになったんです。ちなみにこの教科書無償化は、公明党(当時は公明会)の柏原ヤス・参議院議員が本会議で行った、池田勇人首相に対する質疑が決定打となったそうです。私の娘たちは、昔は教科書を買わなければいけなかったことを知りませんでした。もはや今の若者は知らない。それこそが素晴らしいことだと私は思っているんです。」

素晴らしい捉え方だと思う。
次元は変わるが、例えば経済が動く事、医療がある事、清潔でいられる事、食事が得られる事など、皆が当たり前に思っていること、それは実は驚くべき事なのだ。
普段の生活では全く意にもとめない。だが、それこそが素晴らしい事なのだ。

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「病によりて道心はをこり候なり」古典云。

困難がある時に、嘆き、取り乱す事は簡単だ。だが、その困難を糧にして、一段と大きく成長することもできる。
「当たり前」に対してありがたさを感じられる人生は、豊かで素晴らしいと思う。そして今だからこそ、「当たり前」の尊さも、学べるのではないだろうか。

転売に代表される修羅の利己主義に走るのではなく、買い占めに代表される動物的な自己防衛反応に支配されるでもなく、より共助的な、真の人間的な心を学ぶ事が出来るのは、今だからこそなのだ。

古典には、「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」ともある。偉丈夫でありたいものだ。

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これから日本は、そして世界は、更に厳しい局面に入る事を覚悟しなければならないと思う。
その中で、恐怖煽動や分断と対立を助長するような浅ましい事に同調する事なく、人間主義の王道を闊歩していきたい。

「天下興亡,匹夫有責」
(※天下の興亡は、民にも責任がある)

天下を「家庭」ではなく、「国」でもなく、「世界」と読んで、この困難を克服しゆこうではないか。

家で過ごす時間が長いこの期間。
ぜひ「読書と思索の暇」を得られん事を推薦する。

https://www.amazon.co.jp/逆転の創造力-岡本-三成/dp/4267022151

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