どんなに君が好きだか、当ててごらん
昔母親に絵本を買ってもらった思い出が、ふとよぎる。
『どんなに きみがすきだか あててごらん』サム・マクブラットニィ著 、評論社
チビウサギとデカウサギが、それぞれ相手をどれだけ好きでいるか、表現を競うというもの。
伝えても伝え切れない愛情の、伝え合いの物語だ。
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取り上げた本を母からもらったのは、妹が産まれて間もない頃だったと記憶する。
それまで8年も末っ子で、そもそもが甘やかされて育った。ところが妹が出来てからは乳幼児の妹を構うようになり(当然ではあるが)、子ども4人を養うために仕事も掛け持ちした母は、次男坊に構う時間はそう取れなかった。
当時、8歳の自分。「もうお兄ちゃん」なのに、全く精神年齢の幼い元・末っ子だった。
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私は急に母を取られたような気がしていた。
寂しい想いがあったのだろう。些細なことで「ママはボクのことなんか嫌いなんだ!」といじけた時があった。
言った自分はただ構って欲しい気持ちなだけだったが、母は瞬間、とても悲しそうな顔をしていた。
言った事を少し後悔した。
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後日、母が私を呼び出した。
プレゼントがあるとの事で、受け取ったのがこの本だった。
「flkameくんのことを想って本屋さんに行ったらね、とってもいい本を見つけたの。お母さんの気持ちも、デカウサギと同じだよ」と言いながら、妹の世話で忙しいのに、仕事もあるのに、時間をみつけて一対一での読み聞かせをしてくれた。
「自分のために特別に」してくれた事が、全身から嬉しかった事を今でも覚えている。人は何歳であっても、そうした事が何よりも嬉しく感じるらしい。
誰かにとって自分は特別ーーこれ程嬉しく思うことはない。
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母親は「ボクの事が嫌いなんだ」と言われた時、どんな想いだったのだろうか。幼い子どもに我慢させて、可哀想な事をしたと、おもったのだろうか。
その後、母はきっと、私の為に悩み、時間を割いて考えてくれたのだ。今になって、その祈る想いがわかる気がする。
母は、「あの子に喜んでもらう為に、何かできないだろうか?」と悩み続けた中で、書店でこの本と出会ったのではないだろうか。
相手の為に何かをする。母の真心と愛情は、その瞬間だけにあったものではない。
「どうしたら、あの子に真心が伝わるだろう」
「どうしたら、あの子が喜んでくれるだろう」
「どうしたら、あの子が幸せになるだろう」
と、長らく悩み抜いて、本気で考え出した答えや閃きが行動に現れたのだ。
そうした心からの、本気の祈りがこもった行動は、必ず、相手の心に永遠に残るものとなる。
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当時から、「マエナラエ」で最前線に並ぶチビだった私は、当然チビウサギに強く感情移入した。母親は、とても大きく見えた。今は、私の方が身体も大きくなった。母親は、少し小さく見えるようになった。
母親の慈愛は海よりも深い、と仏典では説かれる。
親の真心に子どもは一生かなわないのかもしれない。願はくは、今度は自分が、デカウサギのような気持ちで恩返しをしていきたいと思う。
「どんなに君が好きだか、当ててごらん」
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