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写真誌「陰と陽 Vol.11号」

陰と陽 vol.11

原さんから、写真誌「陰と陽 Vol.11号」が届きました。
原さんは、2019年?だったかな、旧日銀での写真展に、参加していただきました。
学生時代?かな、若い頃に、新宿のSoil展や鹿児島の風展で一緒しましたね。風展は出してなかったかな??
現在は、各地で精力的に写真展を開催しています。
最近は、陰と陽の写真グループに参加して、良く活動していますね。
2020年でしょうか、蒼穹舎から写真集も出しました。
現在、2冊出していますね。
写真誌 陰と陽は、兵庫と岡山の写真家が中心となって始めましたが、号を重ねるごとに、参加者も増えて、誌面も充実してきています。
「陰と陽」は、山陽と山陰を意味しています。
山陽とは、岡山を中心に兵庫、大阪の方もいます。
そして、山陰は、島根、鳥取ですね。
私は、常々、思うのですが、山陽とは、雨の少ない岡山を中心としているような気がしますが、地図的には、広島県も入っているのですが、文化的、特に写真の世界では、広島は得意な位置を占めていることをよく感じます。
この陰と陽も、だんだん参加者が増えていますが、人口的にも経済的にも、中国地方、山陽地域の中心的存在である広島県、特に広島市周辺、地理的には、安芸の国は、独特です。
広島に写真家がいないかと言うと、いないことはないのですが、広島で写真をやると、仲間内でグループを組んで、地道に写真活動をするといったスタンスにならない場合が多いのです。
多くは、東京を含めた首都圏に出てゆき、活動する、または、それを飛び越えて、「HIROSHIMA」の特異性をもって、世界に出てゆく、そういった活動になります。
私は、広島で地道に活動して、自分の中で活動する写真作家が、なかなか見当たらないことを、1つの現象として、興味深く、もどかしく、不思議に思いながら、ここ数十年広島に暮らしていますが、かなりの写真を撮っている人も、ある程度、写真をためると、そのレベルに関わらず、県外(主として東京)での展示を目指す傾向があります。
そして、それは、専門的に写真を撮る人も、程度の差こそあれ、「HIROSIMA」ブランドから逃れることが、実はかなり困難な道であることを示しているように思われます。
何らかの「HIROSIMA」を引きずることが、広島に暮らす、広島に住む事になった人を、追い込む様な気がします。
そうした事から自由に、自分の写真を持つことが、実はなかなか難しかったり、ある程度、写真を追い込んで、広島に暮らしながらやっていこうとすると、広島の街や、そこここに漂う広島が、それをゆるさないような気さえしています。
しかし、出自が、いわゆる「HIROSIMA」とは、縁もゆかりもなく、別のルーツを持っている人、流入している人も、多く存在しています。
こうした人も含めて、今の広島の地平が、あるように思います。
しかし、そうした事が、なかなか文化的には反映されない、表には出にくい事が、広島の文化圏の特徴であり、課題ではないかとも思います。
それほどに、重いものをこの町は腹の底に抱えています。

そういった事が、中国地方の中心的な都市部でありながら、こうした写真誌「陰と陽」に広島の写真家が登場しない、1つの重要な要因ではないかと、私は考えることがあります。

広島で写真をある程度、真剣に行う人は、こうしたある意味、熱心ではあるが、仲間内の、同じように、真剣に誠実に、写真に立ち向かう人と、見ている視線の先が、どうしても違うベクトルが働いてしまうような気がするのです。

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