マイノリティゆえに機会すら与えられない人がいることについて(双子子育てストーリーNo.42)
ちょっと複雑な気持ちを抱いたことがありました。でも単なる出来事で終わらせるのではなく、少しでも自分の人生に応用できないかと考えたことをまとめてみます。
1.赤ちゃんコンサートへの参加が認められなかった双子
先日、とある赤ちゃん・子ども向けコンサートの情報を入手し早速申し込みをしました。
会場があまり広くなさそうだったので、双子ベビーカーが入れるか?と夫が質問をしたところ、以下の返事が返ってきました
・会場がある2階に行くエレベーターが狭いので入れる保証がない
・そもそも入口が狭く横型の双子ベビーカーは通らないと思う
・これまでこのコンサートは何回も開催しているが双子が来たことはない
・会場が狭く要望に応えられず申し訳ない、また機会があればお願いします
うーん、またの機会はないな
というのが私の率直な感想でした。
双子であるがために、というよりも、ベビーカーが入らないかもという理由で、入るための確認や対応策の検討もないままに明確に断られた、というのが私の受け止めです
運営側の体制などの都合で、1組の参加者にそこまでの配慮はできないという判断があったのかもしれません。でも、参加してほしいという気持ちがあれば、私たちだけ2階にあがり、ベビーカーは1階に置いておく、子どもとベビーカーを何往復かして上に運ぶなど、いかようでも対応はあったはず。
誰の、何のための、イベントなのか?
誰に喜んでほしいのか?
そこがクリアであれば、今回の回答は異なったのではないでしょうか。
もし運営側の協力を得て初めて双子が参加できたとしたら、彼らの実績にもなるし、私たちもよい印象をもってSNSで発信するし、ママ友にも広めるし。そんな可能性があったでしょう。
このコンサートに今後双子赤ちゃんが参加する可能性はとても低い
ということは明らかです。
実施者からすれば見込み客を手放したことになるし、我が子は音楽に触れることができない、両方にとって残念な結果となってしまいました。
2.マイノリティゆえに機会すら与えられない
今回は子ども向けコンサートという小さな事象でした。同じようなレベルのことから、もっと重大なこと、例えば教育、就労に至るまで、マイノリティゆえに機会すら与えられない、ということは様々な場面で起こっているのではないかと、この件で気づかされました。
バリアフリーという言葉が浸透して月日が経ち、たしかにスロープやエレベーターができたり、デジタル機器を使って目や耳が不自由な人も生活ができたりしています。
ただ、今回のことから言えたのは、本当のバリアフリーは、
ハードだけではなくて、人の心、つまりソフトのバリアフリーがなければ絶対に実現しない
ということです。
ソフトのバリアがあれば、多少ハードにバリアがあっても乗り越えらえる、乗り越える方法を考えられるのが人間だと思うのです。
そしてどんなにハード面が整備されたとしても、ソフトのバリアがある限り、誰もがサービスや商品にアクセスできるわけではないでしょう。
では、ソフトのバリアフリーを実現するために大切なこと。それは、サービスや商品を提供する側が常に、
誰の、何のための、イベント(サービス・商品)なのか?
誰に喜んでほしいのか?
を問い続けること、これに尽きるのではないでしょか。
私も仕事やその他活動で様々な人に協力や参加をしてもらっています。その際、この問をいつも頭の片隅に置きながら、協力や参加してほしい人に気持ちよく参画してもらえるような配慮ができるようになりたいと思っています。