何気ないこと
今日は最近思うことをダラダラとただ打つだけのnoteです。夜中に大好きな冷凍の大判焼きをこっそりひとり頬張りながら。
秋
イベントの多い季節、秋。特に子供が保育園や幼稚園の年長さんともなると、これからイベントが目白押しです。運動会、お泊まり保育、お遊戯会、保護者会の開催するイベントたち。なんだかもうあっという間に春が来て、卒園シーズンを迎えてしまいそうな気持ちになります。
年をとったせいなのか、はたまた元々なのかはわかりませんが、涙腺が弱くなりました。私は随分とめんどくさい人間です。娘が何かに登場して頑張っている姿を見るだけで、自然と涙が出てきます。こんなことやってたら、成人式までには私の涙が枯れ果ててしまうんじゃないかと思います。大変よく泣きます。
かと思えば去年の運動会は家族と前日に喧嘩し、私にとっては散々な運動会でした。仕事が遅くなっちゃってお風呂やらご飯やらができてなかったことを、帰ってきた家族に随分と怒られた気がします。今振り返っても、少しは理不尽だったなと思いますが、私の至らぬ点もあり、仕方のないことでした。どうすることもできませんでした。
食事
最近、娘が食事の前にお祈りをするようになりました。「神様、この美味しいごはんを作ってくださってありがとうございます。」といっていただきますをするようになりました。特定の宗教を信仰しているわけではないのですが、保育園でも同じようにやっているようでした。
Macを開き、Apple Musicでピアノ曲をかけながら、娘と二人で静かに食べます。それからキャンドルを灯して夕食らしくします。私が作るものは、大した食事ではありません。ご飯にお味噌汁、それから何かおかずを一品とお茶かお水。いつもそんな感じです。手の込んだものは作れません。ハンバーグですら、無惨な形になります。自分の料理のスキルを思うと、大変残念です。でも仕方のないことです。それでも今日は保育園であったことや、お互いのクイズをしながら、ほっこりした気持ちでいただきました。
思い起こせば、私は幼い頃、こんな穏やかな食事をとったことがあるだろうかと思います。年子の兄弟が何人もいて、ほとんどワンオペで母親が育てていました。みんないつも母親に話しかけていたし、今思えば、とても大変だったことと思います。父親は仕事が忙しく、毎日深夜帰宅なので会うこともありませんし、一緒に食事をとることは大変珍しいことでした。現代のようにはいかない時代でもあったように思います。とても仕事が大変だったのでしょう。娘としては理解しているつもりでしたし、仕方のないことでした。
そんな昔のことに思いを馳せていたら、今目の前のありふれた食事が、大変ありがたいように思えてキラキラ見える気がしました。穏やかでいられる何かは、もうそれだけで価値のあることなのかもしれません。
今日は、ふと娘に「100年前はどうやって食事を作っていたのだ」と言われました。1900年ごろのことです。なんだかコンロはなさそうでした。だからかまどの説明をしました。火を起こして、薪を入れて、そうやってご飯を炊いていたんだ、と。こんな説明をしたら、なんだかありがたい時代に生きているこのだなぁ、と思えてきました。
仕方のないこと
これまで人生の流れに随分と抵抗し、反抗していたように思います。いや、今もそうかもしれません。でも、昔よりもいろんなことを「仕方のないこと」として受け入れるようになった気がします。何かに身を任せてみることがやっとできるようになった気がしています。いや、ただそんな気がしているだけかもしれません。
そして、それがいいことなのか、悪いことなのかもよくわかりません。それでも身を任せて何かを待ってみたり、偶然に出会ってみることも楽しいのかもしれない、ぼんやりそんなことを思ったりしています。もちろん不安にも悲しみにも出会うでしょうが、そんな時は静かに膝を抱えていようと思っています。
おいしくなくても
私は料理が上手じゃない。一見和やかな食事に見えるのかもしれませんが、その辺はちゃんと娘もわかっていて、口に合わないものは食べないようです。無理して美味しいとも言わないので、あまり好きじゃない、と言われたら、わかったよ、と言って他に食べれそうなものを冷蔵庫から探してきます。それでも割と一口目はちゃんと食べて、自分に合うか合わないか見ているように思います。
そんなとき、ふと思い出すのはこの言葉でした。
娘が感じる心を大事に。しばらくの気まずい時間も大事に。まずいと言われたらまずいのでしょう。怒りもせずなきもせず、淡々とあれればそれでいいやと思うようになってきた気がします。
なんだか随分ととりとめもないことをダラダラと書きました。まとまりがありませんが、そんな日もあるのかもしれません。今日は早く寝てしまいたいと思います。