見出し画像

父の余命宣告…、立派とは言えないですが父親でした

父が余命1〜3ヶ月と宣告を受けました。
今、お葬式などの準備に追われています。

父は決して立派な父親ではありませんでした。
私が子供の頃、毎晩、酒を飲んで暴れては家族を困らせていました。
特に母親に強くあたっていたことは、大人になった今でもしっかり覚えています。

父は小柄でガリガリで、恥ずかしがり屋で他人と話すのも得意ではない。
器用でもないし、何かやるにもいつも間が悪い。

勉強を教えてくれたこともなかったですし
教育的なことは全て母親がやっていたと記憶しています。

自分でも何もできない自分を理解していたのか
「俺には何もない!」
と酔った時はいつも言っていました。

そんなこともあり、私は昔から父親を尊敬したことがありません。
「ああなってはいけない」と反面教師にして生きてきました。

以前、帰省した際に母親から
「父親らしいことを何もしていないのに、『お父さん』と呼んでいる姿を見ると申し訳ない」
と言われたことがあります。

しかしながら、お葬式などの準備をしながら父親のことを考えると
不器用ながらに父親らしいことをしようとしていたのだと
子供の頃を振り返ること多くなりました。

・ご飯に困ることが無かったこと
・家があったこと
・好きな学校に進学させてくれたこと
・花火をした時に、花火に火をつけてくれたこと
・夜、大きな地震が起きた時に部屋に駆けつけてくれたこと
・クリスマスのプレゼントを買ってくれたこと
・何不自由ない身体を与えてくれたこと

など、振り返れば尽きることがありません。

どれも、どの家庭でも当たり前にやっていることだと思っていて
全く感謝をして生きてこなかったのですが
しっかり父親をやろうとしていた一面もあったのだと思いました。

どうしても、良い出来事や当たり前の出来事より
悪い出来事の方が強く印象に残ってしまいます。

悪い出来事は確かにあったのですが、一方でその裏には良いこともありました。

今、父は病院で過ごしています。
コロナの影響で面会することは叶いません。
次に会う時は、父親が亡くなった時です。
声をかけて、感謝の気持ちを伝えることは叶いません。

私の父親は他のご家庭の父親と比べたら、立派な人間ではありませんでした。

私が「結婚する」と彼女を紹介した数日後に入院し
来年、結婚式をあげると決まった時には
意識のない状態になってしまった間の悪さは昔から変わらないなと思いつつ
それもまた父親らしいのかなと思います。

しかしながら、戦後1年に生まれた私の父親は
何もなかった時代から生き抜き、日本の社会の発展に貢献し
家族を作り、そして、今、この世から去ろうとしています。

そう考えると、父親の人生は立派だったのではないかと思います。

最後の姿を見送る時には、感謝の気持ちを伝えたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!