見出し画像

PS25『THE EARTH』 【#003】

小学生のころから、この世界はすべてゲームの中の出来事なのかもしれないとおもうようになった。

きっかけは、小学生のときに買ってもらったゲーム、ポケットモンスター『サファイヤ』だ。

このRPGゲームの中のキンセツシティという街には「ゲームセンター」という建物があって、主人公がスロットやルーレットをやってお金を稼いだり、景品と交換したりするわけなんだけど。

これが当時、なんだかすごく不思議な感覚だった。

僕は、ゲームをやっている。
そして、ゲームの中で、主人公がさらにゲームをやっている。

このように、ゲームをするという行為のメタ構造が生まれている。

これが、当時の「引っ掛かり」だったようにおもう。

じゃあ、いま僕たちが生きているこの世界だって、次元の異なるだれかが自分を操縦していて、地球という舞台をもとにゲームをしているのかもしれない。

と、小学生の僕はこんな妄想を膨らませていた。

こんな妄想を繰り広げていた当時、とある仮説が頭に浮かんだ。

【仮説】
いま自分の視界に入っていない世界は、真っ黒な世界が広がっているのではないか?

これを検証するために、学校で急に後ろを振り向いてみたり、向こう側から気づかれないようにそっと壁から覗いてみたりして、世界がロード中でブラックアウトしていたりしないか、みたいな実験をした。

残念ながら、思うような結果は得られなかったけれど。


〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

さて、すこし話を変えてみよう。

現代において、『仮想現実(バーチャルリアリティ)』という言葉をよく耳にするようになった。

仮想の世界において、僕たちはアバターを動かし、その世界を楽しむことができる。

2021年4月現在では、まだ、現実とまったく同等な世界をつくりだす技術はないけれど、この先、テクノロジーが発達してゆけば、この世界と瓜二つの仮想世界をつくりだすことも、理論上はできるはずだ。

なめらかに空を飛ぶ鳥や、流れる川の水の動き。

いま目の前にある机の質感、叩いたときの音、それを知覚する聴覚や触覚の解像度。

味。

地球上でうごくすべての生き物の時間経過に伴う、物理的な導線。

僕たちの脳内の処理、思考回路、個性、進化、、、

コンピュータが処理できる速度がどんどん上がっていって、2045年にくるとされるシンギュラリティを経て、人間は、この世界により近い仮想現実をつくりだせるようになってくる。

人間はいつか、その仮想世界と現実の区別ができなくなるだろう。

そうなったとき、人間は、この世界をただしく認知していると言えるのだろうか。

この現実が1番目で、僕たち人間がつくろうとしている仮想現実が2番目の世界とは限らない。

自分たちが現実だとおもっているこの世界さえも、すでに仮想世界だということだってありうるのだ。

僕たちの現実は、すでに2番目の仮想現実かもしれないし、10番目かもしれないし、ひょっとすると1000番目、、100億番目かもしれない。

ゲームの中で、より下位互換の仮想現実がつくりだされるというループ状態にあるのかもしれない。

あらゆることが、超高次元世界におけるコンピュータひとつのプログラミングにすぎないのかもしれない。

そもそも、僕らがAIなのかもしれない。



このように、無限に世界がメタ化する構造は、容易に想像することができる。

そんなわけで、タイトルにもあるように、100年後の地球ではどこかのゲームショップに『THE EARTH』というタイトルのカセット(アナログというのが小粋だよね)が置かれていて、それを買えば、この地球46億年分の物語を神の視点で体験できたりするのかもしれない。

いまの最新がPS5だから、100年後はPS25くらいかな?

それは、アンドロメダ銀河の規模かもしれないし、この宇宙全体のスケールかもしれない。

宇宙がこのひとつだけという証明は、いまのところできていない。



こういう壮大なフィクションの中で、僕たちは短い人生を生きている。

生きていればいろんな困難や悩みがあるかもしれないけど、そんなときには、この『THE EARTH』というゲームの妄想をしてみるといいかもね。

どんな苦悩も快楽も、ほんの一夜の夢なのかもしれないから。

画像1

Ver 1.8

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?