籠の中の鳥
私は籠の中の鳥だ。狭い世界で暮らし与えられたものに満足していた鳥。広い世界に憧れて、あるとき籠の中から飛び出した。
多分、疲れたんだろう。
呼吸が浅いことにも、からだに力が入っていることにも気がつかず、周りの顔色をうかがっていた。
"氣を配る"とはよく言ったもんだ。
それこそ色んなやつに配りすぎて抜け殻になった気分だ。まあ、もう何度も繰り返して今の感覚には慣れっこだし、そういう自分が嫌いなわけじゃない。
色んな人と出会い、色んな価値観に触れ、人間関係に悩むことも含めて、たくさんの出会いがわたしに教えてくれた。
すべての出来事が今の自分を創っている。
私はある日を境に40℃近い高熱が続いた。
寝ても寝ても熱は下がらない。
熱中症?インフルエンザ?
知ってる病名ってそれくらいだ。
何でも食べれたし、熱以外に風邪の初期症状がほとんどなかった。なんだろう?
心配になった私は近所の内科へ行った。何も発見されず原因は分からないままだった。仕方なく、大きな病院を紹介された私の不安は増していった。
レントゲンや採血検査を続け、勇気を出してCT検査も受けた。病名が確定したのは 通院から1ヶ月経った後だった。症状が少な過ぎて可能性が多かったらしい。
「ウイルス性気管支炎」
聞きなれない名前にヒヤッとする。
レントゲンで左の肺に靄がかかっていた。
消えるまでに1ヶ月くらいかかるらしい。
"1日のうち周期的に高熱が出る"
それがこいつの特徴。治す為の薬はない。
私の場合は、ほぼ1日中(頓服薬でなんとか寝る)→薬なしで寝る→寝起きや朝は平熱→昼間から夕方に発熱→夕方のみ発熱→熱が出た日と出ない日→たまに微熱→平熱と徐々に頻度が減っていき、体温も42~38℃,40~37℃,38~36℃と少しずつ落ちていった。
1ヶ月近くも熱が続き、しかも高熱から下がってきた38℃は平熱が上がったんじゃないか?と思うくらい気分がよかった!笑
もちろん、平熱に戻ってからの今となっては38℃に近い感覚が高熱になる前にもあったような気がしてならない。気付かなかった。
自分を見つめるいい機会だったかもしれない。
機嫌が悪い、周りが見えない、ネガティブ
そういう時の自分は好きじゃない。当たり前か。
からだは知ってる。それは疲れてるサインだ。
本当は寝たら治る。寝ても寝ても眠いなら寝飽きるまで寝ればいい。そうしたら鼻歌交じりの自分がいた。
"休みたい" "自分のペースで生きたい"
そのために勤めることを辞めたはずなのに、私と言う人間は休むという選択肢をすぐに忘れる。何かを"する"ということは、もちろん楽しくて、やりがいのあるものだ。だが、それと同時に何も"しない"ことも同じくらい大切なんだろう。"~する為に~しない"ことで"する"ことの表現力が格段にアップするんだと思う。
「自由は不自由」
真っ白な紙に向かって呟く。
幼い頃の口癖だった。
"見られる"という意識が働いて、どうしても気持ちよく描けないでいたのだと思う。身近に「絵を描くのが好き」という対照的なやつがいて、羨ましかったのかもしれない。誰の為でもなく、楽しそうに描いている自由さが。
今はただ、飛び方がわからないだけなんだ。
きっとまた風が教えてくれるんだろう。
心地好い風に乗って大空を飛んでる姿を想い描く。
私は高くは飛べないかもしれない
また新しい籠に入るかもしれない
それでもいいじゃあないか。
少しずつでも私の世界は広がってる。
体調を崩してから読書の機会が増えた。
今までは仕事や人間関係の悩みで行き詰まった時に"自己啓発本"や"ビジネス書"を栄養剤のように読んでいた。もちろん良い知恵、心の在り方を学んだけれど、今回は違う。
ここのところ読んでいるのはエッセイ本がほとんどで、クスッと笑える日常劇が点滴のように感じる。
特に「食」がテーマのページは食い入るように見つめている自分を発見した。
西かなこさんの「活字のご飯@ご飯ぐるり」は活字表記された料理の魅力を綴っており私の中にグォッと響いた。お洒落や海外の料理、地元愛など女性目線でありつつ、幼い頃の境遇から独自の世界観がある。
穂村 弘さんの「きみのいない夜ごはん」がコメディ部門で優秀賞を贈りたい。惰性や劣等感もここまで開けてると逆に好ましいと思えてしまう表現が多い。笑
かっこわるい自分を受け入れれそうになった。
誰に共感されずとも私にも確かにある大切にしたい感覚、、そういったものなら書けるような気がした。
私も綴ってみたい!自然に溢れた素直な気持ちだった。文章を書くのが好きでライター?とも考えたがインタビューや写真、関連情報など、書くまでが長い。私は、日常でふと感じたこと思ったことを綴りたいと思う。自分の内側ももっと開けていけたらと思う。目指せエッセイスト!!o(`^´*)