イメージの破壊者
昔から、イメージの破壊者が僕の中に存在している。
なにも、二重人格とかいう大袈裟な事ではないのだけれど、確かに存在している。
例えば、テストの点数が良かったとして、それが奇跡だという事をアピールしてみたり、
スポーツで活躍したら、調子に乗ったフリをしたり、おどけてみたり。
なんとか、良い印象で終わりたくないという願望が出てくる。
noteを書いていても、何回か連続で良さそうな事、例えば、
これのあとに
これを書いてみて、『あれ?もしかしたら、結構いいヤツだと思われているかもしれないな。』と不安になってしまって、昨日は、『人生はギャンブルだ。』みたいな締めのものを書いた。
『ギャンブル』というのは、印象があまり良くない言葉ではあるので、実際、そのように確かに思っていたから、少し清廉潔白方面の評価を下げられると思ったところがある。
こんな解説は誰もやらないし、恥ずかしさすらあるのだが、思った事を包み隠さず書きたいから書いてしまっているし、このあと、躊躇わず投稿すると思う。
なんの使命感をもって、こんなに裏の考えまで書いてしまうのかわからないが、いいヤツという感じで終わらせたくないと過剰に思ってしまう自分に気づいたので書いてみた。
結局、単に照れ隠しなんじゃないかと思われるかもしれないが、もっと根深い、人に必要以上に好感を持たれる事を恐れているようなのだ。
こういう感覚がわかる人いるのかな?
僕だけでしょうか?
誰にも見られる事も気にされる事もないのに、髪型をセットしたり、オシャレをして近くのコンビニに行くように、ただの自意識過剰でしかないのは否めない。
つくづく、こういうところが我ながら面倒臭いのだけれど、イメージの破壊者がどうしても最後にいいところをかっさらって行くのだ。
絶対に良い印象を持たれた方が得なのにな。
良い印象がMAXのところで止めて行ければもっとモテるのかな。
あーあ、モテたいな。 ←破壊者