Youth(DAY)
気づいたら前の日記から早2ヶ月。期末、期初の革命的な忙しさにかまけてすっかりサボっていたわけですね。異動が決定した後輩、大学の同期なんかと麻雀を打ちまくってました。不甲斐ないですね。
中国の街中路上麻雀、一度やってみたいです
仕事ばかり考えて生きているので、最近意識的に心を休めないとその内潰れるなと思い、座禅体験に足を運んだり、河川敷でお酒を飲んだり、普段聞かない音楽を聞いたりしている。意味あるのか?
少し前の曲だが、韓国人シンガーソングライターのOOHYO(ウヒョ)が
出した「Youth(DAY)」が曲、PVともに「欲しい感情ドンピシャ」って感じで最高でしたね。一番いいなと思ったのは動画上の投稿者コメント。
ウヒョです。
青春は期待ほどワクワクもせず、予想よりもはるかに
不安に感じられる時間だと思います。
人生の重さ、自分自身の弱さを感じるたびに苦しくて萎縮されます。
しかし、このすべての困難を、誰のために乗り越えるかが、
本当に大事だと思います。
最近になって、自分だけのために将来を計画して悩む青春よりは、
自分の中に閉じ込められないで開かれた青春を過ごしたい思います。
私をはじめ多くの若者が、傷ついた過去の自分、
他人と比較される現在の自分、成功した未来の自分に閉じ込められないで、
より意味のある楽しい時間を作っていくことができればと思います。
エモいよな〜。若い時期って、些細な過去の思い出に足を取られて動けなくなる時期だし、加えて自分の将来を過大評価してしまうし、それで様々な歯車が噛み合わないけれど、その青臭い歪ささえ綺麗なんだよなあ。。
歌詞の意味は全くわからんが、きっといい事歌ってるんだろうな〜。
上の直訳丸出しのコメントですら、エモいんだからなあ。
閑話休題。
わたし自身は営業キチガイなので、行っている仕事自体は期末も期初も変わらず。外部環境で、職場のボスが「らーめん発見伝」の芹沢サン瓜二つのインテリスキンヘッドに交代と相成った。わたしレベルのキチガイはそれも特段意に介さず、自分のやりたい仕事をバチバチやらせてもらっている。社内外問わず、全ツッパの営業スタイルだ。
裏を返せば、今の職場は恐らく良い部内風土だし、良い上司に見てもらっているのだろう。感謝々々である。
改めて見ると本当にそっくり
今の部署では都心から少し外れ、東京郊外の法人を担当しているのだが、
本部の方針なのか、「都心の営業部以外」では、現在若手(2〜3年目ぐらいの層)が極端に増加している。逆にベテラン営業マン(30後半からプレ管理職層)は都心に集まっており、中央集権的な感じが強まっている。
聞いている限り、他の都銀も似たような感じだ。
銀行員としての仕事、法人営業としての自分の仕事は日に日に変わってきていて、後輩や就活生になんと伝えたら良いのか判らなくなってくる。
「企業の課題を解決します!」ってありきたりすぎるし、でもやっている事は間違いなく課題解決だしなあ、と思う。
企業によって、事業によって、取引地位によって「銀行としての自分」に求められるプロダクト・ミッション・期待値は違っていて、一つ一つの期待を上回り続けるサービス業、なんだろうか。
いまシコシコ文章を打ってるのは最寄りのサンマルクだが、目の前、向かいのテーブルで眼鏡のカップルが婚姻届を2通、色々と話しながら書いている。サンマルクのテーブルは一本脚でガタガタだけど大丈夫なんだろうか。楽しそうだからまあいいのか。端から見てるとなんだかんだ嬉しい気持ちになるもんだな〜。
「人の営みは、本人が意図しない所で作用していく」という詩、最近どっかで読んだなと思ったら、吉野弘の「生命は」だった。またしても引用。
生命は 自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で
虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする
生命は その中に欠如を抱き
それを他者から 満たしてもらうのだ
世界は多分 他者の総和
しかし
互いに 欠如を満たすなどとは 知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄
ときに うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ?
花が咲いている すぐ近くまで
虻の姿をした他者が 光をまとって飛んできている
私も あるとき 誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない
泣いちゃうぐらいに最高
そんなGWの終わり。仕事と生活の両立。思ったことと好きなものの記録。
もう一度続けていく所存です。