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TVCMより、採用広告予算が高くなる日。

広告にして広告にあらず。それが採用広告。

大学を卒業して入ったところは、
広告の制作会社だった。

子供の頃からTVCMが好きだったから、
母親は入社理由を〔広告〕という言葉で
結びつけようとしていた。

が、正直あまり因果関係はない。

なぜなら、
その会社がつくっていた広告は、
主に採用広告という種類の広告だったから。

ほとんどの人が会社員であるこの国で、
採用広告は、誰もが一度は目にするもの。
だが、その採用広告がどのように作られているか、
その制作の世界がどのようなものか、
知っている人は意外と少ない。
(と、その後のキャリアで知ることになった。)

採用広告というのは、簡単に言えば
その広告でクライアント会社が、
人を採用できるようにするものである。

採用広告を見て、この会社で働きたい。
そう思われる人を増やすこと。

もっと正確に言えば、ターゲットと呼ばれる、
企業が採用したい人を、必要数だけ採用する。

そのきっかけ、募集に対しての
応募を獲得するためのものだ。

採用広告と殺人事件は一緒。現場100回。

「取材に行ってこい。」

みずみずしいアイデアだけに自信があった、
23歳の生意気な世間知らずの新入社員は、
入社早々、小さな広告枠の仕事の概要と、
その広告を出稿したいクライアントの
連絡先を渡される。

映画や映像ばかりを作ってきたが、
俺には豊富なアイデアと才能がある。

せめて、
「入社1年目が作ったとは思えない。」

できれば、
「とんでもない新人が現れた。」

そんな広告をつくる。
俺は常に狙っていた。

俺はこんな職場で働きたくない、から書ける。

ヒアリングに行ったのは、
確かゴミ処理場の事務の仕事だったと思う。

取材から帰ってきて、
広告案として提出すべき紙は、
白紙のままだった。

それを基にデザインを作らなくてはいけない
アートディレクターは、呆れながら笑っていた。

「これ、どうしたの?」
「だって、ゴミ処理場なんかで働きたくないっすよ。」

俺は、まだ全人類が俺と同じ気持ちで生きていると、
全身全霊で信じている馬鹿だった。

こんなところで働きたくない、と思っていた
職業差別丸出しの使えない大学生のような俺は、
頭を下げて、その働きたくない場所に再度取材に行った。
(当たり前だが、めちゃくちゃ怒られて仕方なくだった。)

快く再取材を受け入れた担当者の人と、
次の取材では、仕事とは関係のない話で盛り上がった。
仕事の話なんて、まだ聞く気になれなかったのだ。
確か、ワールドカップか何か。スポーツの話だったと思う。

お互いに優勝チームの予想なんかを繰り広げた後、
「ああ、確かに、それはあるかもな。」
その人の勝敗予想の裏付けを聞いて、
感心しながら、俺はやっと気がついた。

たぶん、この人と同じ中学のクラスだったら、
まぁまぁ、仲良くなっているかも。

普段は遊ばないが、サッカーの話だけ盛り上がる友達が、
実際に中学の時にいた。アイツにどこか似ている気がする。

そんな感覚の延長線上で、素直に聞くことが出来た。
「なんで、ここで働いているんですか?」

そこから俺は必ず、どの職業の、誰の話だろうと、
「広告記事に書く・書かないは別にして…」と切り出してから、
話を聞くことにしている。お互いに本音で話すためだ。

少なくとも、ここでは働きたくない!と思った俺が、
ああ、なるほどな、それなら就職した意味はわかるな…と
思えるまでには、リアリティを持った殺し文句を見つけたい。

どんな仕事だって、完璧な仕事じゃないかもしれないが、
仕事終わりのビールがうまい理由くらいは、
割と、どんな仕事にもあるものなのだと知った。

しかも、俺が働きたくないと思ったゴミ処理場の事務は、
聞けば聞くほど、やりがいだらけの仕事だった。

取材が終わる頃には、「ゴミって面白い!」と、
早歩きで帰ったのを覚えている。

「残念ながら、絶対になくならないものですからね。
 ゴミって。人間が生きている限り。」なんて言われたら、
特にかっこいいコピーを新しく思いつく必要すら無くなっていた。

これは数百の仕事を取材をしてみての実感だが、
その仕事の面白さがわからない時、大体聞き出せていないことが多い。
本当に面白くない仕事はなかった。少なくとも今までは。

中学の時に、仲良かったあいつ(みたいな奴)が、
そのゴミ処理場に就職した理由が、少しは納得できるもの。
「そんな仕事、辞めちゃえよ。」とは思わない言葉。
本音で向き合わないと、見つからないことを見つけた。
現場で見つかった、そのはたらく理由に惹かれる人が、
その会社で働くべき人だ。俺のビールも、うまくなってきた。

「お前のウンコしたあと、くせぇんだよ。」に泣く。

採用広告は、採用する人を増やすためのものではなく、
その広告を見て、その会社で働いた人が幸せになれるためのもの。

そんな美しい信条が、僕が新卒で入った会社にはあった。

ただ、そんな風にして、数百の採用広告を作っていると…

あっ、ちなみに採用広告は、TVCMや屋外広告などに比べると、
1つの広告にかける予算は極めて少ない。だから、とにかく量をこなす。

3ヶ月に1つ納品する、みたいなペースのTVCMなどに対して、
1ヶ月に300本納品する、みたいなペースがざらなのが採用広告だ。

(話を戻す)
そんな風にして、数百の採用広告を作っていると…
クライアントは違う会社なのに、
皆が同じ話をしているように聞こえてくる。

「この会社の良さって、なんですか?」
「アットホームなところですかね。」

そう言えば、昨日の会社も、一昨日の会社も、アットホームだったな。
たぶん、明日の会社もアットホームだろうな。

それこそ、何百という会社の採用広告が並ぶ
リクナビやマイナビで、アットホームな会社を掲げて、
その会社で幸せになれる人は見つかるのか…。

でも、入校日は明日の11時である。
朝イチで上司に見せないと、間に合わない。

このままでは絶対にOKはもらえないし、
実力はないがプライドだけはあった俺は、
妥協した広告を許せなかった。

ただ、今、目の前で自分が作っている広告が、
上司よりも先に俺のプライドをズタズタにしていたんだ。

そんな時、必ず見るものがあった。
『人生広告年鑑』という本だった。

毎年、優秀な採用広告が集められている本だ。
そこに、こんなコピーがあった。

「お前のウンコしたあと、くせぇんだよ。」
(※実際に掲載された広告コピーです。)

人生広告年鑑でみた、東 秀紀さんという方のコピー

『人生広告年鑑』という年鑑は、厚い。
何百という広告が並んでいる。
しかも全て優秀と評価された広告だ。

その中で、僕はこれが目に止まってしまった。
と言うか、目から離れなかった。
広告で、ウンコって書いていいの?とか、
いろんなことが頭の中をぐるぐるまわり、
それでも釘付けだった。

つまりは、この広告の勝ちである。
そして、その広告が表しているのは、
まさに、アットホームな会社ということだった。

殺伐とした職場で、
隣の席の奴のウンコの話は出来ない。

そして、その広告に漂う匂いは、もはや臭いは、
そのアットホームの種類すら伝えてくる。

会社と言うより、
実家でやっている家業に近い雰囲気の
職場という感じ。人が近い感じがした。

みんなアットホームって言うけど、
それは自分の会社に強みがないから。
何もないからアットホームと言っている。
いくら才能豊かな俺でも、流石にそれでは無理だよ。
面白い広告は作れないっすよ。

と、言い訳している俺はダサかった。
深夜2時、何も浮かばない…が、後7時間で上司は出社する、
そんな焦りから、クライアントのせいにする俺は、もはや臭かった。
広告の作り手として、ウンコなレベルだったんだ。

それ以来、取材で聞いたフリはしたくないと思っている。

「この会社の良さって、なんですか?」
「アットホームなところですかね。」
「隣の人のうんこ臭いって言えますか?」
「えっ?うち、トイレはビルのフロアで共同だし、
 複数あるので、隣の人のうんこ、嗅いだことないですね。」

採用広告が作れたら、きっと広告がつくれる。

ああ、そうか。あのコピーは会社の規模感も、
言葉に込めていたのか。

あのコピーの職場は、
きっとビルに入っていたとしても、
高層ではない気がする。

あの会社に入る人は、きっとこんな高層ビルに来たら、
背中がムズがゆくなる人かもしれない。

取材すればするほど、コピーを書けば書くほど、
「お前のウンコしたあと、くせぇんだよ。」の凄さがわかる。

インプットが、
アウトプットを高めてくれるのは、
間違いない。

こうやって俺は、採用広告を通して、
ものづくりを勉強させてもらった。

3年間で、新卒で入った会社を卒業するとき、
俺はもはやビール腹だった。

採用広告じゃなくて、人生広告をつくりたい。

改めて採用広告は、良いなぁと思う。
表現に「人」が出ている。

そこで働く人の広告、
そこで働く人の生活の情報、
そこで働く人の人生の一編を通して、
その会社での「働く」を伝えるのだ。

人生広告年鑑は、
僕がものづくりを覚えた最初の3年間で、
一番読み漁った本だ。

何より名前が良いでしょ?

人生広告年鑑。
ただ、いつも少しだけ違和感があった。

会社より、そこで働く人の方が面白いのだ。
人を通して、会社の良さを伝えるのが、採用広告の構造だが、
もっと人について広告にしたかったし、文章にしたかった。

人の魅力を使って会社を魅力的に見せて、
こんな人が働く会社に行きたいと思わせるのが、
採用広告の基本構造だとしたら…

会社のために、人が使われている。
クライアントだから仕方ない。けど、
俺が伝えたいのは、人だけだった。
その分、ダイナミックに深く伝えたい。

だから、僕なりの人生広告年鑑を作りたいと思った。
面白いと思った人の人生を、広告(というと語弊があるが…)
つまりは表現したいと思った。

すると、そこに「人」と「働く」の
ストーリーが見えてくる気がした。

僕は、僕なりの人生(広告)年鑑を作りたい。

金をもらう仕組みとしての広告、からの卒業。

広告を作り始めて、もう10年になる。
表現に金をもらうための、仕組みとしての広告ではなく、
世の中にあるべきものとしての表現(広告)を作りたいと思った。

そうしないと、金をもらう事と、
表現する事を分けられなくなる気がしたのだ。

だから僕は面白い人と、その人の仕事を捉えたい。
その人とその人の仕事になる物語を明らかにしたい。

これから僕は、面白いと思う人にインタビューして、
行動を共にし、何かを表現する。

その人の「広告」をつくる。
そこで表現するのは、その人の“真ん中”だ。

人生広告をつくりたい人たちが、
すでに頭に浮かびまくっている。

写真集を出してもらいたい【写真家】がいる。
本音を紡いでもらいたい【活動家】がいる。
共に旅をしてみたい【古着屋】がいる。
美しい歌が生まれる瞬間を見たい【音楽家】がいる。
自分の作家性を見つける瞬間を捉えたい【ヘアメイク】がいる。
そして、どうしても報われるべき【映画監督】がいる。

と、信じている。

たぶんアウトプットは、映像になると思う。
インスタとかYouTubeとか、SNSで流すのだろう。

その先に何があるかは、正直わからない。
けど、そんなに遠くの未来ばかりを気にして、
どうするんだろうか。

俺は俺が良いと思うものを作り、
それを愛してくれる人たちと過ごし、
その輪になったえんのまま、
どこまで行けるかを試したい。

何かのシステムに頭を使ったハマり、
遠くに行くことはやめることにしたのだ。

面白いと思う人と、面白いと思うことをする。
僕が今作りたいのは、面白い人たちの人生広告年鑑だ。

会社で作っていた「人刊〇〇」というメディアを、
作り直すことで、その活動としたいと思う。

詳しくは、また。
とにかく今は、次の作りべき広告が見つかったことを祝して。

人生広告年鑑。どこにも売ってない。必ず探して買う。

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