永田和宏『知の体力』〔2021年首都圏中学入試頻出作品/読み解きのヒント・読み解き/じっくり読みたい受験生向け/三分の一まで無料
永田和宏『知の体力』新潮新書2018年
この作品は2021年に
・専修大学松戸中学校
・光塩女子学院中等科
・東京都市大学等々力中学校
で出題されました。
★読み解きのヒント
著者は細胞生物学の先生で、歌人でもあります。歌人というのは短歌を作る人のこと。そしてこの本はおそらく高校生や大学の新入生に向けて、大学という場所でどのように学んで欲しいかを書いているものだと思います。小学生が読むにはとても難しいため、重要なところを探してその部分をていねいに読むことで、全体の流れを大きく理解するといいでしょう。ここでは、文章の前半の逆説の接続語「しかし」の後に注目して、筆者の考える大学での学びとはどういうものかを読みとることにします。前半の重要な「しかし」は15か所あります。いっしょに探して読み解いてみましょう。
★読み解き
❢しかし①❢
13ページ
私は自身の経験から、高校と大学はまったく違った世界なのだとまず宣言することから大学教育はスタートすべきだと思っている。
ここはそのままでも分かるかな? 前の部分に、高校までの教育は「手取足取り、先生たちから教えられてきた」と書いてあります。大学での教育はそれとはまったく違うとうことです。
❢しかし②❢
14ページ
この「正しい答え」というのがなかなか曲者である。そこではまず「正しい答え」があることが前提となっている。あらかじめ用意された答えがあって、誰が解いてもその一つの答えに到達できるようになっている。試験とはそういうものだ。
初めの指示語「この」すぐ前の「試験でいい点数を取るための正しい答え」という内容を指しています。「曲者(くせもの)」は用心するべきものということ。「前提(ぜんてい)」は前もって決まっていることです。
❢しかし③❢
16ページ
実社会に出て、そのような答えのある〈問題〉というのは、実は何ひとつないのだと言ってよい。
この部分の指示語「そのような」が指しているのは、すぐ前の「どこかに正解があって、その正解は自分だけが知らないだけであって、誰かが〈たぶん誰か偉い人が〉知っている」という内容を指しています。②で見た「正しい答え」と同じ意味です。実社会にそのような〈問題〉がないからこそ、大学では高校までとは違った教育が必要だと筆者は考えています。
※
❢しかし④❢
25~26ページ
考えてみると、世界では、日本のような単民族国家はきわめて稀なのであって、多くは多民族が雑居しているという国である。いきおい、何も言わなくとも分かってくれるはずだという前提は通用しないことになる。
ここから少し話題が変わります。「稀(まれ)」は数が少なくてめずらしいこと。「いきおい」は、その結果として当然という意です
❢しかし⑤❢
25ページ
発想の根本のところで、私が当然のこととして理解していること、知っていることは、あなたも同じ程度には知っているはずだという、一方的な了解が、あるいは思い込みがあることも事実である。
ここでは単民族国家である日本人の考え方を説明しています。
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