『40年前のせつないミトン』
先日、大きめの茶封筒が自宅に郵送されてきた。
差出人は母親だ。
何かと思いながら封を開けると、中身は文集だった。
なぜこんな古い文集が、今このタイミングで送られてきたのか?
表紙をめくる前に母親にLINEしてその旨を伝える。
ちょうどスマホを触っていたのかすぐに既読が付き、返信が。
『覚えてないの?あんたが小学1年生の時に書いた作文が学校代表になって、その後、生駒市の作る文集の中に掲載されたんよ、小さい頃から文才あったんやね』
このnoteというプラットフォームで文章を書き始めてから、【文才がある】とたびたび両親から褒められることがある。
正直言って文才なんて言葉は僕には身に余る言葉で、ただただ楽しんでもらえたらという気持ちと、自分が読み返してリズム的に気持ち悪くないかをポイントとしながら、皆さんの応援もあってなんとかここまで書いてこれているだけのことである。
とは言え褒めらて嬉しくないわけもなく、47歳の息子に対して親バカでいてくれる両親に感謝を覚える次第だ。
文集は実家の片付けをしている時に発見され、約40年ほどの時間を経て僕の手元に再び届いた。
スマホを置き文集の表紙を開くと、目次に生駒市の小学校の名前が並んでいる。
2ページ目から40年前の小学生たちの作文が姿を現す。
一人目の作文。
そこには『手ぶくろ』というタイトルとともに『藤原一裕』と書かれている。
一番最初だったっけ!?と脳が認識した瞬間に、ずっと記憶の奥底で眠っていた聞き覚えのある声が蘇り頭の中で再生された。
『一裕、市の文集に選ばれるんもすごい事やけど、トップバッターで載せてもうてるなんて、なかなかすごいぞ!コレはよう書けてるって思われたから1番に載ってるんやわ!』
興奮気味に話す、40年前の父の声。
何事にも厳しくあまり褒めてくれなかった父親だが、こうして褒めてくれたこともあったなと眠っていた記憶に懐かしい気持ちになる。
タイムリープした感情を抱きながら小学1年、藤原一裕の作品を読み返す。
『手ぶくろ』
藤原一裕
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