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総合型クラブを生業にして15年。ふりかえり③

総合型クラブを始めるまでの経緯を、もう少しふれたいと思います。

22,3歳の時、上福岡市(ふじみ野市合併前の自治体)でクラブチームのプレーヤーとしてバスケをしたり、市バスケットボール連盟(一般)のお手伝いをしていました。

しかし、クラブチームでは同世代(前後1~2歳くらい)しか受け入れられない雰囲気があり、それぞれの家庭事情を考え将来的なことをみれば、おそらくバスケをするのは良くても30歳そこそこ迄だろうとも感じていました。

また連盟主催の地域大会や県の大会などでも、代わり映えないしない参加チームの状況、またクラブチームの県大会で上位を目指すということ自体にも価値がいまいち見いだせなくなっていきました

そんなある日、バスケ仲間からの『60いや70歳になっても俺はバスケを続ける!』という言葉を聞いて、なるほど!と、びびっと感じるものがありました。

それくらいの年齢まで、体を鍛えることのイメージを周りの仲間はしたと思いましたが、自分は少し違っていて、そういう環境をつくられていくことが大切で、それに取り組もうと、地域の誰もが楽しめる、多世代バスケ交流の場をはじめました。またクラブチームも自分が運営を担い、10歳くらい年下でも受け入れる雰囲気づくりを試みました。

地域バスケクラブチーム運営と多世代バスケ交流の運営、さらに市バスケットボール協会の運営をするようになり、新たなつながりができていき、バスケトップチームの埼玉ブロンコスのサポートなどもするようになっていきました。

しかし、進めていくうちにバスケの環境づくりを進めるだけでは限界があり、他種目とあわせた地域スポーツ全体の観点から考える必要性がみえてきました。

そして総合型地域スポーツクラブという、国の推進する事業があることを知り、それを新たな仕組みとしてもとらえていけば、それらの解決や改善策になるのではないかと思うようになります。

それからについては、以下の記事投稿をさせて頂いています!



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