あの日僕は雀荘にいた
ああ何で情報学科なんて選んでしまったんだろう。
その日、僕は大学のコンピュータ室でC言語の課題と格闘していた。
文系キラキラ女子がMacOSでレポート書いてる横で、理系ヨレヨレ男子の僕はUbuntuとかいう謎のOSでEmacsという無機質なエディタを開いて記号とカッコの羅列をひたすら並べていた。
(はぁ、本当につまらない課題だ。教科書読んでも何でエラー吐いてるのかわからねえ。どこかに全角の空白があるのか、改行位置が間違っているのか、変数名をタイポしてるのか。そもそもHello WorldもFizz Buzzもまともに出来なかったんだ。おれにプログラミングの適性があるわけないだろ…あーもう天鳳でもやるか[以下無限ループ…
(((ガガガガガガガガ)))
バカみたいに強く、ウソみたいに長い縦揺れだ。
(何だ今の揺れ…地震?いや、気のせいか)
そう思った次の瞬間。
それを遥かに超える勢いの横揺れが建物全体を揺らした。
Emacsが映ったディスプレイは倒れ、窓にかかったブラインドがギシギシと音を立て、天井からぶら下がったスクリーンは大きく単振動していた。
2011年3月11日。東日本大震災。
揺れが起こった瞬間は本当に何が起こったのかわからなかった。この時点で東北が震源だとは思いもしなかったし、その後に降りかかる多くの災難ことなど微塵も想像できなかった。
教室にいた学生たちは右も左も分からず外に出て、繋がりにくいケータイを開いて、大学教員が慌てて現状確認をしているのを眺めるだけだった。
中庭の噴水池は永遠に波立って風呂水のようにジャブジャブ水が溢れていた。キャンパスによくある”いつからあるかわからない看板”は倒れている。
僕は何かとてつもなく悪い未来を予感しながら帰宅の途についた。
とはいえ、一人でいることにとてつもない不安を感じてしまう。
そうだ。雀荘に行こう。
渋谷まで徒歩30分。きっと誰かセットしてるだろう。今この状況で一人でいるのはよくない。
案の定、雀荘に人はいた。暇人ばっかりで助かる。だが、交通機関は完全にマヒして渋谷はパニック状態。とても麻雀をする雰囲気ではなかった。
結局、その日はちょっと麻雀して、みんなで渋谷の近くの友人の家に泊まることにした。持つべきものは実家の太いトモダチだ。ソイツは学生のくせに駅チカの13階の広いワンルームに住んでいた。当然みんなの溜まり場になる。
コンビニはほとんどの生活必需品が売り切れになっていて、よくわからないメーカーの炭酸飲料とインスタントのサッポロ一番を一つだけ買うことができた。TOKYOってのは脆弱な都市だ。
ウイイレもする気にならないし、手積み麻雀は面倒くさいし、酒を飲む気分でもない。その日の夜は長かった。
明け方、何もすることがないのでベランダに出てみんなでタバコを吸う。
「何かいつもより街が静かだな」
あの光景を形容するには"ロマンチック"の対義語が必要だ。ドラえもんの道具で全人類いなかったことにしたのび太はこんな気持ちだったのかもしれないな。
翌朝、大学は休校になっていた。
そして我々は何故か昨日いた雀荘に戻って麻雀していた。
麻雀でも何でもいい。何かしていないと気持ちが落ち着かなかった。
「カンチャンズッポシ…からの、Atomicリーチ!」
いつもの店員がドリンクやサービスうどんを持ってきてくれる。
「なあもし今地震が来たら、これノーゲームだよな」
…テレビでは朝から緊急速報がエンドレスに流れていた。
「アルティマの下って安全そうじゃね。めちゃくちゃ頑丈だろ!」
隣の卓では常連のおじいちゃんたちが昨日と変わらずのんびり麻雀をしている。
「〇〇の実家って東北だったよな。アイツ大丈夫かな」
…三陸海岸沿いに数百名の遺体を確認というテロップが見えた。
「ツモ…。2000-4000…1枚」
…画面を見ると火の海が街を飲み込む映像が流れ始めた。
…
もう隠すことはできない。
卓にいる全員が”コトの重大さ”に気づいていた。
これは今までの地震とは違う。そしておそらくここで終わりではない。今後日本は何か大きな厄災と戦っていかなければならない運命にある。
「…なあ、そろそろ帰ろうか」
打ち始めて数半荘しか経っていないのに、いつのまにか世界は180度変わってしまっていた。
その後はみんな知ってる通り。数多くの苦難が日本を襲った。いや、「今も」か。
当時の大学生は、ボランティアに行こうとするやつ、実際に家族が被災したやつ、FXと株で爆損ぶっこいたやつ、海外移住を真剣に考えるやつ、授業はないのにとりあえず大学に来るやつ、何も考えずボケーっと過ごすやつ、色んなやつがいた。
それぞれが人生レベルの何かを感じ、それぞれが思うように行動に移した。
自分も申し訳程度に募金をしたり、右に倣えで自粛ムードな生活を送ったりもした。この頃から漠然と何か社会貢献出来る仕事につきたいなーと考えるようになっていった。とはいえ、客観的に見ればこれまでと変わらない日々を過ごしていたように思う。
大学も休講、サークルは活動中止、アルバイトもキャンセル。だが雀荘だけは営業している。不思議だよな。麻雀牌のジャラジャラという音は何ごともなかったかのように鳴り続いていた。
あれから13年。
今では大学も卒業して、就職して、結婚もして、いい歳したオジサンになってしまった。何か変わったかと言われると、何も変わってない気もする。まぁでも折角だし、何かしてみようかなと思ってこんなnoteを書きたくなった。
あの日、東京で過ごしたフツーの大学生の記憶だ。
2011年生まれの大学生がこれ読んでくれたらいいな。