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#1 児童養護施設の子どもたちと荒れた山林を開拓するボランティア

堀崎 茂さん

児童養護施設の子どもたちとともに東京周辺の荒れた山林を開拓し自らのふるさとを作り上げるボランティア活動を推進するNPO法人東京里山開拓団の創設者および代表者。環境保全と児童福祉を一石二鳥で実現するこれまでにない試みとして注目され、環境大臣・厚労省よりダブル表彰。 詳しくはこちら

取材日:2022/3/15


自然の楽しみ方やかかわり方をはじめて教わったカブスカウト

小さい頃から里山に興味があったわけではないのですが、小学生時代はカブスカウト(ボーイスカウトのジュニア版)に入っていて、毎月のように山に通い、自然の楽しみ方やかかわり方をはじめて学びました。今から思うと里山の魅力はかかわり方に制約があるキャンプ場とは違い、自然とどう関わるか、自然の恵みをどう使うかを自ら考えて行動できるところにあるのですが、そんなことも学んでいたのだと思います。自ら考えて正解を作り出していく力は、正解がない社会に出てからも役に立ちます。学校の授業を受けているだけでは、与えられた正解を得られるように行動してしまいますからね。里山は、単なる癒しの場というだけではなく自分の能力を引き出したり周りと繋がっていったりする力が身につけられる場と感じています。

都会の息苦しさから解放してくれる里山の存在

大人になってからも、趣味で登山やキャンプを続けていました。35歳に転職して名古屋から東京に引っ越したのですが、東京では、満員電車に揺られて会社と家を往復するばかりで、自分が会社の歯車のような小さな存在に思えて息苦さも感じていました。そしてこれからの人生設計をどうしようかなんて考えていた時に、親類が荒れた山林を持っていると聞いたのです。自分だけの居場所をつくれる気がして何十年も人の入らなくなった山林にひとり通い始めたのです。汗まみれ泥まみれの力仕事でしたが、自分にはそれが心地良く、作業上がりの風呂とビールで体も心もスッキリです。一日で数十メートルしか進まないような作業を週末ひたすら重ねて、2年ほどでようやく普通の人が入れる状態になりました。

里山は人の心を開く力がある

やがて展望台やブランコ、水場、トイレ、かまどを作って、家族や友人を連れていくと心置きなく大自然とかかわれることに想像以上の反応を示してくれました。そこでみんなで作り上げた焚き火料理は本当に美味しく感じられました。都会では知らず知らずのうちに自分と人の間に壁をつくって息苦しく感じることがありますが、里山ではいつの間にか立場や肩書き、年齢といった心の壁が消え去っていて自然にお互いに協力して過ごすことができます。通っているうちに、里山にはそんな人の心を開く力があるとはっきり分かりました。それでこの力をどう活かそうかと考えていて、児童養護施設が思い浮かんだのです。児童養護施設の子どもたちは親による虐待などから、周りに対して高い心の壁を築かざるをえない状況に置かれてきました。でも、里山が子どもたちの心の壁を取り除いて解放し、子どもたちが里山を保全して自ら「ふるさと」を作り上げていくことができたらと、2009年に開拓団を立ち上げたのです。

里山大運動会の様子

諦めずに働きかけた児童養護施設とのご縁

私は大学生の頃に悩みを抱える子どもを支援をする学生ボランティアに所属していたことがあり、ご縁をたどって児童養護施設に声をかけましたが話はうまく進みませんでした。今考えると当然ですが、荒れた山林なんかに大切な子どもたちを知らない中年の男が連れて行くなんていってもすぐ乗れる話ではないですよね。2年間で20くらいの施設に働きかけをしてもダメでもう少しでめげそうでした。

そんななかで、当団体に関心を持ってくださった東京ボランティア市民活動センターの相談員が個人的な繋がりから児童養護施設に連絡を取ってくれたのです。そこから現在救世軍機恵子寮で施設長を務める高田さんとのご縁ができてとんとん拍子に活動が実現し、今も継続しています。時間も手間もかかりましたが、めげずに働きかけを続けたことで一番いいご縁をいただくことができたと思っています。

学生ボランティアとの偶然の出会い

学生ボランティアとの出会いについて話しますと、大学生になって一般的なサークルには参加していたのですが、もう少しやりがいのあるものはないかと思うようになりました。たまたま雨の日に区報を傘がわりにして家に戻ってよく見たら、不登校などの悩みを抱える子どもたちの兄姉的な立場で接する「世田谷区BBS会」の学生ボランティア募集記事がありました。なんとなくご縁を感じてすぐ加入しました。ちなみに私の妻ともそこで知り合ったのです。

人生というのはご縁の重なりですよね。ご縁とは誰にでもいつでもあるものですが、大切なのはそれに気づいてつかむことです。人生は、成績が優秀だから、言われたことをがんばったからうまくいくわけではありません。いろいろなところにあるご縁をつかんでいく必要があるのです。コロナ禍で新たなご縁がないように感じている若い人にも、例えば昔はなかったSNSを通じて、本当に価値のあるご縁をつかめるよう思い切って一歩踏み出してもらいたいものです。

そもそも、これまで出会うことのなかった人に会えたり、自分の新たな面に出会えたりといったご縁が生まれるところにこそボランティア活動の最大の価値があるとも言えます。よく少しボランティアを体験しただけですぐ自分に合う・合わないで判断しようとする人がいますが、本当は深く長く関わることでいろんなご縁ができて自分にとっての価値が生まれてくるものです。

東京里山開拓団と仕事を両立する生活

私はいま、週3日だけサラリーマンとして働いて、2日は東京里山開拓団の運営やマインドフルネス普及活動に充て、週末の2日は家族他との休暇に充てる生活をしています。最初からこんな生活をしていた訳ではなく、47歳まではごく普通のサラリーマンでした。ボランティア活動が軌道に乗ってきてさらに時間も思いもつぎ込みたくなったのですが、家族もいますので金銭的に支えていかなければなりません。そこで私にとって理想的な生活環境がどうすればできるかとことん考えて試行錯誤したのです。私には以前経営コンサルタントやベンチャー経営の経験がありましたので、経営分析の知見を活かして上場企業への株式投資に10年ほど注力しました。また、マインドフルネス普及活動を通じて知り合った方の経営する上場企業と投資家をつなぐ会社で週3日の勤務を認めてもらいました。金融資本、人的資本、自然資本という、自分とご縁のあった資本を私なりにフル活用することで、今のライフワークに注力できる生活環境ができたのです。

マインドフルネスの講演を行う堀崎さん(左)

人生はご縁の重なり。自分からつかみにいく。

マインドフルネスとのご縁はこうでした。2014年頃里山のもつ人の心を開く力について自分なりに考えているうちに、ちょうどブームとなりつつあった「マインドフルネス」に出会って自ら実践していたのです。私にとっては「里山」も「マインドフルネス」もまったく同じように私の心を大きく開いてくれました。マインドフルネスの第一人者ジョン・カバットジン博士の講演を聴きに行った後、近くの居酒屋で博士と偶然にも遭遇し、普及活動に協力することになったのです。

ご縁というのは他人ではなく自分に起こっていると考えることは重要です。だからご縁は他の人にはまねのできない最高の差別化になります。私の場合、里山、児童養護施設、マインドフルネスのいずれにも関わりを持つ人なんかまずいないからこそ、私自身に存在価値が生まれてくるのです。

ご縁というのは特別なことではなくて、誰にでもいつもたくさん起こっているものです。でも、多くの人はその価値に気づけなくてつかもうともせず、自分にはご縁がないと思い込んでしまっているのです。大切なことは皆それぞれが毎日で会っている一見平凡にさえ見える様々なご縁のなかにある価値に気付けるかどうかなのです。

里山には心を豊かにしてくれる文化がある

取材担当O:私は異文化に興味がありまして、その視点から見ると日本人の控えめな部分が、里山を含む日本文化や社会問題に対する関心のなさに少なからず影響していると思うのですが。

言われる通りと思います。戦後の日本は、農村よりも都会に人々の目を向けさせ、自己主張せずに同じように考えて同じように動く人々を増やすことによって、社会や経済を「発展」させてきました。このことは、控えめになった日本人が日本文化や社会問題に関心をもたなくなったことと深くつながっています。でも、もし文化を心豊かに生きる力を高めてくれる存在と定義するなら、かつての農村、そして里山には明らかに文化がありました。いま文化といえば芸術という固定的イメージで時に金銭でその価値が計られる存在と思われていますが、本当はそんなものではありません。私たちの生活を心豊かにしてくれる存在こそが文化なのです。その意味では、里山にはかつて文化があっただけでなく、今もあるし、新たに創造し、次世代に引き継ぐこともできるのです。例えば、都会には知識や値段ばかりが立派な食文化がある一方で、里山にはたった一つのお芋なのにとてつもなくおいしく傷ついた心まで温めてくれる食文化があります。里山には都市社会が見失ってしまった心を豊かにしてくれる文化が確かにあるのです。若い人にもそれをぜひ直接自分で感じてほしいし、できれば新たな里山文化の担い手となってほしいと思っているのです。

第8回 健康寿命をのばそう!アワード 表彰式の様子

堀崎さんの人生

小学生時代、カブスカウトで自然の恵みを自ら楽しむ経験

大学生時代に、悩みを抱える子ども支援の学生ボランティアに参加

大学卒業後、経営コンサルタント、ベンチャー企業で経営分析能力を培う

2005年東京に転職して大企業に勤務するが歯車として満足できず

2006年35歳、里山と出会い、自分の居場所づくりとして開拓開始

2009年、ボランティア団体・東京里山開拓団を立ち上げる

当初2年間、里山開拓は続けるも連携する児童養護施設が見つからず

2012年、東京ボランティア市民活動センターの紹介で救世軍機恵子寮との活動開始

2014年マインドフルネスの第一人者カバットジン博士とのご縁で普及活動開始

10年間かけて株式投資に注力し、余力のある生活環境を実現

2017年47歳、週3日勤務に切り替えてNPO運営・マインドフルネス普及に注力

2019年厚労省、2020年環境大臣より児童養護施設との里山開拓で表彰

表彰式の様子


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