3月30日(木):「共同体」と「共同善」
この2週間ほどは政府が進めようとしている学校や家庭以外の子どもにとっての「第三の居場所」づくりに向けたモデル事業に端を発して、コモンのことやコミュニティ、居場所について触れてきました。
直近では書籍「孤独と居場所の社会学(阿比留久美著)」を引き合いに居場所の定義から掘り下げたことを記しましたが、最後はもう少し大きな視点で捉えて本件を一区切りにしようと思います。
やや話は飛びますが、トクヴィルは今から180年以上も前に著書「アメリカのデモクラシー」のなかで地域共同体に言及しています。
その当時の米国をデモクラシーによる影響で個人がアトム化、単体化をして紐帯が喪失する傾向にあり、その結果として公共的な事柄への関心を失う危惧が描写されているものです。
行き過ぎた自由を味わうことで自分たちが相互に依存し合っている感覚を忘れていく点への懸念が示されており、まるで昨今にでも書かれたばかりのような内容には驚きです。
ただ、そうした利己心を啓発された形に修正する装置として「地方自治」や「結社」の存在があげられています。
これらの存在があることで個人への固執ではなく、共同の利益や共同善への意識が生じ、そこへ順応する働きにも言及されていました。
今から180年も前の時点で自然に根差した社会的結合である地域共同体の重要性を説いているトクヴィルは慧眼というほかありません。
現在は個人と国家の間に属する様々な中間共同体が希薄になっているのは間違いないでしょう。
政治における専横的なリーダー、ポピュリズムが顕著になってきた現状は否めず、民主主義が適切に機能するためにも中間共同体の存在は大事なんだと理解をしています。
地域に大小様々な共同体があることでの共同善の醸成が、良好な相互理解や対話の土台となり、居場所づくりに寄与していく面もあるはずです。
そうしたいろいろな意味においてコミュニティや居場所を広げていく意義は大きいと思っています。
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