「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論343」
みなさん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。
~Fitness Business通巻第5号(2003.3.25発行)「2002年版米国・成功のプロフィール」1~※名称等は当時、一部文章省略
「2001年という年は、9月11日にテロ事件があった年であり、バブルがはじけ経済全体が減速した年でした。しかし、そんな中でも、業界は堅調な伸びを見せています。」
IHRSAのエグゼクティブディレクターであるジョン・マッカーシー氏は振り返る。
「成功のプロフィール」はクラブ経営企業の実績数値をまとめた報告書として創刊から21年目を数えるが、最新版である2002年版は、その静態、動態の調査結果の中に、業界の前進を見てとることができる。
調査に答えたクラブも244クラブと35%増加し、報告書の表紙から裏表紙まで、悪い数字は全く見つけることができない。
ここに2002年度版「成功のプロフィール」より、2001年のフィットネス業界が良い状況であったことを示す数値をいくつか紹介することにする。
クラブ数が増加
米国の総クラブ数は2001年に5%伸び、2002年1月時点での総クラブ数は17,800軒となった。
この数は2002年に入ってからも伸び続け、2002年7月には18,200軒と上半期で2%伸びた。
2000年のクラブ数成長率が10%であったことを考えると、成長はゆるやかなものとなっているが、2001年から2002年にかけてさらに7%伸びていることになる。
この3~5年、クラブ企業にとって資金調達の幅が広がったことから、また深耕が進んでいない市場や、経営管理の行き届いたクラブが少ない市場にもクラブがオープンできることになった。
消費者にとっては「通いやすい立地」がクラブ入会への最大の原動力になることから、新たな市場に新店が作られることは業界の長期的な成長を後押しする重要な要因となる。
新店の開設はまた、市場が確立されている競合状況の激しい地域でも進んでいる。
ボストンやシカゴ、サンフランシスコなど多くの先進クラブがひしめく市場でも、クラブ経営企業各社が差別化を図りながら共存共栄してきている。
こうした企業は市場環境に合わせてビジネスアプローチをより洗練させ、ターゲットセグメントを絞り込んで、そこにプログラムやサービス、施設、価格設定といった内部要因をうまく整合させてニッチ市場を創出している。
その好例としては女性専用クラブや家族志向の強いクラブなどが挙げられる。
~ここまで~
およそ20年前の米国の社会状況は、「9.11同時多発テロ」やITバブル崩壊によって社会不安や経済不安が増大している時期で、現在起こっているパンデミックやロシア・ウクライナ情勢によるそれに近しい状況だったと言えます。
そんな中でもフィットネス業界は堅調にクラブ数が増加していた歴史的事実を捉えれば、日本でもまだまだ成長していく余地は多分にあると考えます。
2019年時点での国内フィットネスクラブ数は、6,188軒(クラブビジネスジャパン調べ)となっており、当時の米国と比較しても1/3程度、2019年の米国と比較すると1/7程度です。
その点を踏まえれば、パンデミックによって全体として20~40%も会員数が減少したことは、明らかに提供側のサービスレベルに課題があるとみなさなければならないと思います。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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