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5月3日(火):オシムさんを偲んで②
オシムさんを偲んで自分のなかでの追悼として、オシムさんの関連書籍の再読をはじめました。
オシムさんは戦術論、組織論、日本人論など幅広いことに言及していたので、これらはサッカーを離れて自分の仕事に活かせそうなことが多分にあるので、それを自分なりに少しずつまとめていこうと思います。
オシムさんが繰り返し必要性を説いたことに「コレクティブ(集団的・組織的)」であることや「ディシプリン(規律)」があり、このあたりは組織・チームにとっては非常に重要なことだと感じます。
以下、オシムさんの著書である「考えよ!」の一節です。
「いいチームとは、実は、大きな集合体(ビッグユニット)における、小さな集合体(スモールユニット)が、やるべき仕事を確実にミスなく成し遂げているチームなのだ。」
ここでいう小さな集合体としてのスモールユニットが適切に機能するにはディシプリンが不可欠だ、と説いています。
ディシプリンはチームとしての戦術的な規律正しさもさることながら、特にオシムさんが日本として課題に挙げていたのが個人的なディシプリンでした。
同書では「生活の中で規律正しい日本人は意外にも、試合の中でディシプリンを貫くことがそれほど好きではないように感じる。ディシプリンは重要な試合ではハイレベルで保たなければならない。試合前に言ったことと違うことをピッチでするのは、個人のディシプリンに左右されることで、それはあまりにも難しい。(中略)日本人の選手は不必要に個人的ミステイクを犯しがちだ。」との指摘です。
大前提にチーム全体のディシプリンがあって、それに対する個人の戦術理解度と状況に応じた適切な判断、そこが個人のディシプリンとして問われる部分なのだと思います。
私たちの仕事はフィットネスクラブの運営なので、その現場のチームをこれに当てはめ、ジムでのトレーナーの動き方をピッチ上の選手に置き換えると符合して見えてくるものがあるはずです。
特に大型クラブであればチーム全体としての決め事+個人戦術の理解と実践度合いによって、ジムでのトレーナーの動き方とそこでカバーできるお客様の人数、提供できる成果や価値には大きな開きがでてきます。
コロナ禍で岐路にある大型のフィットネスクラブを鑑みた時に、現状で定着しているお客様はお気に入りのスタジオプログラムがあったり、スパなどでの満足度が高い方が一定数いて、そこでの定着は果たされています。
どこに一番の課題があるかといえばジムエリアであって、そこの再活性化、そこでの成果や問題解決を含めた提供価値を引き上げることでの定着、顧客創造が必要だと捉えています。
その時に「生きた現場」や「機能しているジム」にしていくには、先に触れられているようなチーム・個人両面でのディシプリンがあって、コレクティブになっている状態が理想です。
「世界のビッグクラブと、その他のクラブを隔てているのは、このディシプリンができているか、できていないかという部分なのである。」という言葉は、そのままフィットネスクラブにおける良いクラブとその他のクラブ、良いジムとその他のジムと置き換えられるかもしれません。
「サッカーには集団的インテリジェンスが必要である。」との指摘があるように、良い現場、良いジムエリアにも同様にディシプリンをもった集団的インテリジェンスが求められると思っています。
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