7月7日(木):「形がない」は創造の出発点
最近は定性面のことに触れていますが、それに関することをもう少しだけ。
定性面は数字で表すことができる「定量」と違い、客観的な指標や形ある何かを手に取ることができない分だけ、マネジメントをする際にはつかみどころがなくて難しい面が伴います。
だから、どうしてよいか、どう考えていいかが「よく分からない」という感覚になってしまうのも無理はありません。
でも別な観点から見れば「形がない」ということは、これから形あるものをつくっていくための創造の出発点になり得るということです。
書籍「ケアとは何か」の一節でイギリスの小児科医で精神分析家のウィニコットという方の考え方を用いて子どもへのサポートと高齢者へのケアとの類似性について説明をしている場面がありました。
そのなかで「『形がないこと(formlessness)』という言葉で子どもの創造性の源泉となる状態を名付けた」旨の記載がありました。
確かに我が家を見ても子どもが小さな時は何もない状態であっても、そこから自由な発想で遊びを創り出したり、勝手に「ごっこ遊び」が始まったりと、そこに自分だけの世界を投影して楽しむ、といったことをよくしていました。
子どもは時に大人からすれば意味不明な言葉を発したり、奇妙な身体の動きをする、といった行為だけでもその瞬間を楽しいものに変えたりできますからね。
それだけにウィニコットの「創造性の出発点は、形のない状態であいまいな無為を味わうことなのだ」という示唆も合点がいきます。
関連して同書では「『形がないこと』はカオスとは異なる。カオスとは受け入れがたい混乱した現実のメタファー」であり、対して「『形がないこと』は、創造的な活動を生み出す母体であり、その意味でカオスとは対立する概念である」と記載をされていました。
形がないというのはイコールで無秩序であるわけではなく、これから何かを創り出していくための土台なんだと思えば、気持ちの持ちようも少し変わってくるし、そこと向き合う姿勢もポジティブなものにしていける気がしますね。