「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論267」
みなさん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌(元々はクラブマネジメント誌としてスタート)のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。
~クラブマネジメント通巻第36号(2001.9.25発行)「米英のフィットネスクラブ産業史」4~※名称等は当時、一部文章省略
1.米国のクラブ産業史
この80年代の急成長にストップをかけたのが、89年から92年にかけて米国を襲った経済不況であった。
フィットネスをレジャーやレクリエーションとして捉えていた人々が出費を抑えたために会員数は減少し、それに伴い廃業に追い込まれるクラブも出て来た。
銀行はフィットネスクラブの施設デザインが、転用が利かないものであることなどを理由に貸し渋りを始め、新規出店も減り、業界は下降線をたどることになる。
クラブは危機感を強める中、売り上げを保とうと入会金のディスカウントを始めたり、様々な会員種別を売ったり、ハイプレッシャーなセールスで長期の契約を取ったりするようになっていった。
しかし、これらが自らの首をさらに絞めることになる。
商業改善協会にはフィットネスクラブの契約に関する苦情が数多く寄せられるようになり、91年には米国132業種のうちワースト14位にランクされるとともに、米国の36の州で、消費者を守るための「ヘルスクラブ法令」が策定されるまでになってしまう。
業界としての社会的信用を大きく失ってしまったのである。
フィットネスクラブに対するネガティブなイメージは消費者だけでなく金融界にも広がり、顧客を得ることも、出資を得ることも益々難しくなっていった。
~ここまで~
国内でも丁度、1990年初めのバブル崩壊をきっかけにして、「フィットネスクラブ冬の時代」と日経新聞に書かれるほどの苦境に陥りましたが、米国でも同様の出来事が起こっていたことは、この時代でも日本と米国の景気が密接に関連していることが分かります。
米国でも入会金ディスカウントや会員種別を増やすなどで急場をしのぐ施策を行っていたことはアバター近藤も認識しておりませんでした。
そして日本と違いセールス専任スタッフがいる米国では、ハイプレッシャーセールスが起きうる可能性が高くなる中、消費者保護の為の法令が出るほど社会問題化していたことは大変驚きます。
現在の日本では、エステ契約に関して似たような苦情が出てくることがありますので、それに近い状況であったのでしょうか。
その点では、国内のフィットネス企業が良くも悪くもセールスへリソースをあまり割なかったことで、米国の様な信用を落とす行為に至らなかったと言えるでしょう。
本日もお読みいただきありがとうございます。