2月23日(水):自由意思による秩序
昨日はお客様起点、現場起点で価値創造するには現場主権であることと、そのための集権と分権について触れました。
具体的には統治の面で会社全体の法や価値観、利益等のガバナンスやパーパス、マネジメントの枠組みは集権として共通認識を持ち、一方で行政にあたるクラブ運営については分権で各クラブに裁量があり、現場が自由に考えたり、それを表現できるようになっていることが大切だと思っています。
現場起点で主体的な発想や行動が生まれてくるのは、そこにいる個々人が「責任」と「創造性(自由)」を有していると感じられてこそでしょう。
もちろん、ここで言うところの自由にやるは、好き勝手にやることや、イコールで無秩序な状態を指すものではありません。
自由な状態に置かれた時に人は自由意思として自己利益を考えるのが一般的なありようだと思います。
そうした思考、行動の集積によっても一定の秩序は作られていきます。
自由意志による取引で市場がひとつのメカニズムとして機能しているのは、その最たる例でしょう。
これは会社組織、共同体にも同様なことが言えて、そこに属する個々人が自由意志で動いた結果、秩序立ったものになっていけばいいわけです。
自由意思で動いた時にアナーキーな状態になってしまうか、一定の方向性のなかで秩序立つのか、それを分かつのは、そこに共同善の価値観が共有されているかどうかだと捉えています。
そうすれば自由にやっているからといって、必ずしも無秩序になるわけではないですね。
その代わり、共同善の価値観などを浸透させるための時間、労力は相応なものが要ります。
でも、責任やプレッシャーのようなものだけで縛り上げて支配的にやるよりも、よほど共同体としての運営としては望ましいはずです。
これは理想論に近いのかもしれませんが、自社でいえば現場で社員、アルバイトスタッフもあわせて20人に満たない組織の規模感だから、そうした面は大切にしていけます。
これからの会社のカタチとして現在進行形で様々なことを模索中ですが、そこは時間をかけながら最適解を見つけていきたいと思います。