9月16日(土):久しぶりの「いろは歌」
先日、十数年ぶりに改めて目を通してみたのが島津忠良(日新斎)の「いろは歌」です。
こうやって読み返してみると、いろいろな意味で本当に感服しますね。
島津忠良は戦国時代に武人として軍略・兵法に優れて島津家の礎を築いたのはもちろんのこと、この「いろは歌」の日新学が薩摩藩における教育の基本となっていきました。
「いろは歌」の名前が示すように、これは「い・ろ・は・に・ほ・へ・と・ち・り・ぬ・る・を~」の順に、それぞれの頭文字から始まる五・七・五・七・七の31文字の短歌に教えが盛り込まれています。
まだ兵農分離も進んでいない時代に家臣の教育の必要性を理解して、何度も口ずさんで覚えられるようにと、こうした形式にしたと言われています。
全47の歌には生き方についての教えにはじまり、リーダーとしての考え方やあるべき姿、仕える家臣としての心構えなど、多岐にわたる教えが凝縮されている形です。
これは島津忠良の孫である島津4兄弟から戦国島津家の家臣団へ、さらには近世の鹿児島藩の家臣団である郷中教育でも重視・尊重されて、明治維新の志士たちを生んでいきます。
また現代でいえば薩摩出身の名経営者であった稲盛和夫さんも、自分が受けてきた教えの原点がこれだとご自身で語られている通り、今に至るまで脈々と受け継がれて多くの人材を輩出する基盤を担ったものだといえるでしょう。
なお、いろは歌の47首は歌としての出来栄えも非常に高く評価されていました。
思慮と改訂を重ねたいろは歌を批評してもらうために、京都の連歌師の棟梁である宗養にこれを見てもらったところ、あまりの出来栄えに驚嘆し、摂関家筆頭の近衛稙家もこれを称賛した、とのエピソードが残っているぐらいです。
武人としても、文人としても、そして人間的にも素晴らしかった島津忠良のすべてが凝縮されたような存在が、このいろは歌だといえそうです。
そんなこんなで本日の締めは、いろは歌の最初の始まりである「い」の歌です。
「いにしえの 道を聞きても 唱へても わが行ひに せずばかひなし」
※意味合い
昔の偉い人たちの教えをいくら聞いても、自分の口で復唱しても、それを行動に移さないと、なにもならないということ。(いにしえの道=昔の聖賢の教義、学問)