SONYグループを五カ月半で退職した21歳の今
皆さんには夢がありますか?
僕には一年半前20歳になりたての時に叶えたい夢ができました。それはスポーツやフィットネスを通じて多くの人々を笑顔にしたいという夢です。
今回はなぜ、たった五カ月半という速さでSONYグループを退職したのか?また、どういう経緯で夢が出来たのか?について賛否両論あると思いますが記事を書こうと思います。
まず僕の自己紹介を簡単にしたいと思います。
僕は熊本県出身の1999年生まれで、父の影響で小さい時からサッカーが大好きな子供でした。小中高はサッカー部に所属し、ずっとサッカーに明け暮れる毎日でした。高校は工業高校という事もあり就職を考えていましたが入社したい企業が見つからなかったので進学する事にし、2年間工学系の専門学校で勉強した後にSONYグループに就職しました。そしてSONYグループで5カ月半ほど働いた後に決断し退職して今に至ります。
今はフリーターとしてアルバイトをしながらinstagramでフィットレと言うフィットネス業界の有名なトレーナー様やGYM店舗をご紹介するアカウントを運営しております。
●夢が決まった背景
僕が強く持っているスポーツやフィットネスを通じて多くの人々を笑顔にしたいという夢は一年半前の学生の時に持ちました。当時は企業の内定式も終わった時期で「来年から社会人かぁ、、やっていけるかなぁ」と不安な気持ちと残りの学生生活を思いっきり楽しもうという思いでした。
そんな時にある事を母から聞きました。
それは「○○小学校から部活動が無くなったみたよ」○○小学校は僕の通っていた小学校です。
その時、僕は一瞬意味が理解出来なくて「小学校から部活がなくなるてどういうこと?」と凄く驚きました。そして、そんな事あり得るのか?と衝撃を受けた事を覚えています。
そして、ふと今までの自分の部活動人生をというものを振り返りました。
そしてある事に気が付きました。
それは自分は今までずっと部活動というものに育てられたんだという事です。僕は小中高ずっとサッカー部に所属して沢山の事を経験しました。時にはキャプテンを任されたり時にはキツイ思いしたり、思いだしてみるとキツイ経験の方が多かったと思いますが、沢山の監督やコーチ、仲間と出会うことができ、とても充実した学生生活を送る事が出来たと思います。そして好きなスポーツをしていた時はいつも笑っていたと気が付きました。だからこそ自分が成長させてもらったスポーツやフィットネスで人々に笑顔を届けたいと強く思いました。
そして僕自身がスポーツやフィットネスを通じていつまでも笑って生きていきたいと自分自身の理解が出来ました。
●SONYグループ退職の決断
自分自身の夢が決まったまま4月を迎え入社の時を迎えました。周りを見渡せば同期は年上ばっかりで、ついて行くので精一杯でした。でもそんな中でも最先端の技術を生み出す立場にいる中で、SONYグループで働ける事にとても誇りを持っていたしやりがいも感じていました。
そんなこんなで3カ月働き自分の21歳の誕生日を迎えた時に今後の人生について考えました。この先もずっとここで働いて後悔しないか?自分が本当にやりたかった事は何なのか?自分が本当に志を持って社会貢献したい事は今やっていること事ではないとは、薄々気が付いていました。
でも今の現状が嫌かと言われたら全くもって嫌ではありませんでした。誇りを持って働いていたし、お給料も同年代に比べたら頂けて、福利厚生も何の不満のありませんでした。
だから、自分の中で凄く葛藤はありましたが、自分のやりたい事に挑戦しようと決断しました。
そして、決意して誕生日の次の日、仕事終わりに30分だけ上司に時間を頂き会議室で自分の思いを話しました。話している中でなぜか涙が出てしまいました。嫌で辞めるのではなく、決意して辞めるので色んな感情が込み上げてきました。
しかし、上司は退職する事を賛成してはくれませんでした。
「辞めるの早すぎるのではないか?考え直したらどうだ?」
当たり前の答えだと思いました。僕自身も逆の立場なら絶対に同じことを言います。
しかし、自分の中では決断しているので7月~9月半まで2カ月半話し合いを重ね自分の思いをしっかり伝え上司に納得して頂き退職しました。
退職する事は親や友達には一切伝えなかったので、退職した直後は予想以上に批判も受けたし、正直凄い不安な気持ちになりました。しかし退路を切ったのでやるしかないという気持ちでいました。
今でも今後の人生の不安はありますが、退路は切ったのでやってやろうと言う気持ちでいます。
今は自分の取った選択に後悔はありません。
●フィットレを始めた経緯
【時系列は夢が決まった直後の学生の時に戻ります。】
スポーツやフィットネスを通じて多くの人々を笑顔にしたいと言う夢が決まってから色々考えた結果まずは影響力を付けようと考えました。そこで注目したのがinstagramでした。instagramは数年前から個人的に積極的に利用していたし、他のSNSに比べてinstagramに一番可能性を感じたのでinstagramを利用して何かを発信しようと決めました。投稿ジャンルはあまり悩む事はなく丁度は好きでやっていた筋トレのジャンルで発信していこうと
決めフィットネスとトレーニングを架け合わせて作ったのがフィットレです。
そしてフィットレのコンセプトは【あなたとトレーナーを繋ぐ架け橋】です。
これは自分が筋トレを始めたときに、周りにトレーニングを指導してくれるトレーナーさんが居なかったので、沢山のトレーナーさんと繋がりたいと言う思いでこのコンセプトにしました。
今でもこのコンセプトに沿って運営しています。
●フィットレからの学び
フィットレは219年の11月28に開設しました。アカウントを作成したは良いものの明確な投稿内容は決まっていなかったので最初かなり悩みました。
そして最初の方の投稿は、自分が名言が好きなので鍛えている人の写真を使用して名言を発信していました。しかし自分の中に名言のレパートリーが少なすぎて直ぐに行き詰っていました。そこからは今のトレーナーさんやトレーニーさんの投稿をお借りしてその方のトレーニングの様子やライフスタイルを紹介するキュレーションアカウントにしました。
特に最初苦労したのが投稿をお借りする為にメッセージを送るんですが、レスポンスが全くなく投稿の使用許可を頂く事に凄く苦労しました。最初は特に僕のアカウントに信用というものがないので、30件くらい送って1件返ってくるような感じで正直しんどいなと感じる時はありましたが、フィットレで投稿すると紹介者の方から感謝のメッセージを頂けたりして凄く嬉しくて、それらのメッセージがあったから続けてこれたと思います。
メッセージのやり取りやフィットレをきっかけ実際にお会いさせて頂く方は皆さん目上の方々で、皆さんとの交流させて頂く中で言葉使いや
メッセージへの対応の仕方など学ばせて頂く事は多くあります。その中でも僕自身一番学んだ事は「どうやったらあの人が一番喜ぶかを考える事」を学ぶ事が出来ました。
この考え方はどこから学んだかと言うと、今日に至るまで200人以上の方々をフィットレで紹介させて頂きました。当然ながら良いリアクションを頂ける事もあればその逆もあります。その差は何か考えて分かった事は、その紹介者に興味を持ってどうしたら喜んで貰える紹介が出来るか考えた時間が永いほど、大きなリアクションが頂けていました。
その事に最近になってやっと理解する事が出来ました。つまり「その人一人が喜んで頂くためにどれだけ自分のリソースを注げたか」が重要なんだと学ぶことが出来ました。
フィットレを通じて皆様から学ぶ事は多く、フィットレを運営している事に今は誇りを持っています。
●夢
僕はスポーツやフィットネスを通じて多くの人々を笑顔にしたいと言う夢を持って始めたフィットレでは、自己実現型のコミュニティを作っていきたいと考えています。
それは皆さんが繋がりトレーニングや食事アドバイスし合い理想の体型の叶えたり、大会出場に向けてのアドバイスをし合えるなど、フィットネスに特化したコミュニティを作り、それをを世界に広げたいと考えています。
僕は海外の価値観や考え方がとても好きなので日本だけでなく世界の人々にも愛されるサービスを作りたいです。
その為にはフィットネスで世の中を変えたいという同じ志を持った方々をどんどん巻き込んでいかないといけません。
このNOTTEを読んでくださっている方々の中で少しでも思いに共感して下さる方々がいれば嬉しいです。
また、皆さんは「地雷ではなく花をください」という本を読んだ事がありますか?
この本は僕が確か小学生の低学年の時に読んだ本で、「地雷は戦争が終わっても半永久的に女性、子供、老人関係なく被害をもたらす恐ろしいもの」
と教えてくれる本です。この本を読んだ当時は特に何かを強く感じた事はないと思いますが、ずっと忘れる事のない本です。
地雷は特にアジアやアフリカに多く埋められていて、2018年時点で確認されている時点で約6900人の人々が地雷の被害を受けているそうです。
被害にあわれている方の54%は子供たちで、この数字の背景には子供たちが走り回って遊んでいる時に地雷を踏んでしまったり、通学途中に地雷を踏んでしまったりと様々な理由がありますが、事実として半分以上が戦争と何も関係のない子供たちが被害を受けています。
僕はフィットネスの反対に存在するものが地雷だと思っています。それは一瞬で体の一部を奪い一生自由に動く事ができない身体にしてしまうからです。
だから少しでも早く、安全で安心して走り回れるそんな世の中になるよう支援していけるフィットレの企業を作りたいです。
いつかフィットレで人生が変わったとそんな声が世界中から届くようにこれからも自分にできる精一杯の行動をし続けます。
ここまで読んで頂きありがとうございました。少しでも多くの方に思いを共有できれば嬉しいです。