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意識理論と創発主義2



統合情報理論

意識の理論として、トノーニらが提案している統合情報理論は、意識の生成原理を理論化しようという野心的な仮説です。
哲学者は、この理論を汎心論であると批判しますが、創発主義として解釈することで、汎心論とは相いれないという主張がなされています。

そのような主張をする論文は現在のところ2つ存在しますが、この記事では、Cea, "Integrated information theory of consciousness is a functionalist emergentism", Synthese, 2021. をまとめます。

創発主義は、20世紀初頭にイギリスで流行した思想ですが、近年はあまり知られていません。当時は、「生きる」とか、「意識」について、研究手段も限られており、既存科学でうまく説明できないという閉塞感からか、新しい思想が求められていたのだと思います。創発という言葉自体は現在の科学でも時折みかけますが、創発主義の思想とは異なる文脈で用いられることも多いようです。

本論文を読んで感じたのは、IITと創発主義を結び付けようという意図は理解できるが、それが表面的であって、IITにあわせて創発主義の解釈をゆがめているのではないか、ということです。意識の科学を構築するうえで、なぜ創発ということが問題となるのか?そのためには、創発をどう定義すべきなのか?という側面から、IITが創発理論といえるのか、をしっかり見極める必要があると思います。

創発主義

創発とは、全体が部分に依存しながらも、部分が持たない特性を持ち、低次のレベルを超える因果的効力を持つことです。高次階層は、還元できない因果的効力を持つことを意味します。

しかし、どのようなシステムも、それを構成するパーツの振る舞いによって完全に決定されるのであるから、全体のレベルが自律的な力を持つということは本来あり得なません。このような議論が過去になされてきたため、創発に対して批判的な考えを持つ人が多いです。そこで、この論文では、システム全体に組み込まれることで、部分が異なる振る舞いをする、といった注釈を加えています。

この論文では、IITと創発の関係を調べることで、創発概念をよりクリアにし、創発にまつわる不可思議さを解消しようと主張しています。
(私には、創発概念をクリアにするというより、IITにあわせて、改変しているだけに見えますが)

IITにおける創発

IITでは、システムの統合情報量を測定することで、意識の有無を判断します。ここで情報と名付けられていますが、シャノン的な情報とは異なり、変化を生み出すもの、つまり、因果のことを情報と呼んでいます。
IITでは、システムに対して統合情報量φを計量しますが、システムを分割したときにφがどう変化するか問題にします。それ以上分割するとφが小さくなるのであれば、統合されているとみなし、分割不可能であるという意味で、irreducible(還元不可能)という言葉を用います。この論文の著者は、統合情報は、還元不可能な情報(因果)であることから、統合情報とは創発であるとみなすことができると主張しています。

所感

私が疑問に感じたのは、還元不可能という言葉が、創発主義とIITとで同じように用いられているのか?という点です。創発主義では、部分の原理からは説明できないような新しい特性が全体レベルで生じ、それは部分に還元できない、真に新しい因果的力である、と主張してきました。
一方、IITは、仮にシステムを分割したときにφの大きさがどう変化するか調べます。これは、身長を測定するときに、靴を脱いだり、帽子を脱いだり、という風に全体を部分に分けていくことに似ています。(測定している量は身長と因果とで異なりますが。)φを測定するために、これ以上分けるべきではない、という分割に対して非還元という言葉を用いていますが、全体レベルで生じる因果的力を部分からは説明できないという意味の非還元とは異なる意味で用いられています。

創発主義で、なぜ、非還元ということが問題となるのでしょうか?それは、脳を作っているニューロンをいくら調べても、そこに意識と対応するような粒子とか化学物質を見つけることはできません。つまり、部分を調べても意識については何にも明らかになりません。しかし、システム全体としては1つの意識があり、それは自律性を持っています。つまり、創発主義は、ニューロンレベルには存在しないような、自由意志を生み出す仕組みが、システム全体に存在すると考えたいのです。

対して、IITが扱っているシステムは、決定論に従っており、状態遷移は、いかに複雑であろうとも、初期値によって完全に決まります。それは、ミクロのレベルで完全に決まっており、自由意志の入る余地はありません。つまり、全体によって「創発」した自律性が新しい因果的効力を持つわけではないのです。IITは、強い創発(下向き因果のある創発)がないシステムに対して、創発っぽさを定量化しようとしているのだと思います。

この意味では、本当にすべきことは、IITによって創発理論を発展させることではなく、創発理論を発展させることでIITを発展させることだと思います。

自由意志の問題

多くの人は、自分の趣味は自分が楽しいと思って決めると思います。機械は、そのようなことはできません。生物と物体との間には、大きな差があると思います。このような基本的なことをうまく説明できるような科学理論が存在しません。

問題は、物理学の説明では、自由の余地がないということです。古典的な物理学では、物の振る舞いはすべて初期条件で決まってしまいます。量子力学はそこにランダムネスを加えましたが、決定論とランダムの両方とも、「自由」を説明するには不十分であるとみなされています。
脳というシステムの全体は、部分であるニューロンの信号伝達の仕組みでは説明できない、自律的な活動を持つことで、自由意志が可能となるというのが創発主義が目指した姿です。創発は1つの仮説に過ぎませんが、自律性や自由意志を説明できる科学理論が確立されていない現状では、1つの候補であり続けると思います。逆に、自由を説明しないような「創発主義」の改変は、創発を問うことの意義を失わせることになると思います。(そうでなければ、自律性を問うことはないでしょう。)
科学は、常に、説明できていないことに説明を与えようという努力であると思います。説明できないことをそのままにして、今ある理論で満足しては、創発に着目する意義がなくなると思います。


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