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意識理論と創発主義
意識の統合情報理論
ロボットに意識は生じるのだろうか?脳はどのようにして意識を発生させるのだろうか?人以外の生物は意識を持っているのだろうか?植物は?石は?人工知能は?
意識研究は、もちろん医学的な意義も大きいが、単純に、「知りたい」という気持ちで研究している人が多いのではないかと思います。意識はあまりに身近であるのにも関わらず、誰にもその発生メカニズムがわからない。このような開拓すべき領域が目の前にあるとき、どうしても探検せざるを得ない人たちがいるのです。
現在、意識の理論で特別な地位にあるのがトノーニらによって提案された統合情報理論(IIT)です。どうしてIITは特別なのか?他の意識理論、たとえば、Global Workspace Theoryは、脳内で情報が広く拡散しアクセス可能となることが意識が生じる条件であると説明します。しかし、この理論では、なぜ、そのような情報拡散が意識を生じるのか説明することはありません。一方、IITは、意識が生じるメカニズムに関して、はじめて仮説を提案したという意義があります。
私は、意識は脳から創発するという創発主義の立場に影響されていますが、本記事では、IITを創発主義の立場で解釈することを提案する論文(Negro, "Emergentist Integrated Information Theory", Erkenntnis, 2024.)をまとめます。 IITはしばしば汎心論であると批判されます。汎心論の立場は、現状のロボットにも、何等かの意識があることを主張しますが、私には、自ら能動的に考え、動くことができないロボットに意識があるとは思えません。汎心論を退け、創発主義との融合を主張するこの論文に興味を持ちました。
概要
著者は、Monash大学の哲学者です。IITは哲学者からは、しばしば、汎心論であると解釈されます。汎心論とは、石などすべての物体に心(意識)があるという世界観です。しかし、この論文では、IITは、汎心論よりも、むしろ創発主義として解釈すべきであると主張しています。
Integrated Information Theory
IITは意識の現象的側面に関する理論です。現象とは、意識の主観性であって、意識経験の主体のみが経験できる「感じ」です。IITは、このような主観的経験の特徴を「公理」として理論の前提条件として与えます。IITではこの公理を物理的に説明するための「仮説」を対応づけます。これらの仮説は、情報理論的に定式化されます。
IITでは、情報を「差異を作り出すもの」と捉えられており、因果と同一視されています。(Shannonの情報量とは区別する必要がある。)IITでは観測者視点での情報ではなく、内発的情報(intrinsic information)を重視しています。内発的情報とは、外の観測者とは独立に決定される情報量を指しています。(内発性の定義については、これでよいのかという疑問もある。たとえば、内と外とはどうやって定義されるのか?観測者に独立であればいいのか?システムの外からの因果(感覚情報や命令、外力など)の影響は除く必要がないのか?など。また、別の機会に考えたい。)
IITは汎心論か?
IITでは、統合情報量Φが大きければ、どんな物理システムも意識を持つと主張する。このことは、どんな物理システムも無条件に意識を持つと主張するような汎心論とは異なる。(つまり、直感的に意識を持たないようなシステムが大きなΦを持たないように、うまくΦを定量化できるならば、IITは汎心論とは言えない。)
Tononi & Kochによれば、統合情報としての意識は、fundamental(基礎的)であるが、それは要素単独では持たず、要素の集まり(complex)に生じる特性である。このfundamentalという用語も、質量や電荷のような要素が持つ特徴ではなく、要素間の関係に依存する特性として用いられており、汎心論の考えとは異なる。
この状況は、創発主義者が強い創発(strong emergence)と呼ぶ状況に似ている。強い創発の立場は、要素が持たない新しいfundamentalな因果的効力が要素の集まりに創発すると主張する。
IITにおける内発性とfundamentalという主張は、汎心論の立場からではなく、創発主義の立場から捉えるべきではないか?
創発主義の立場からは、意識は、すべての粒子が持つような性質ではないから汎心論の主張とは相容れない。
Emergentis IITは、意識を非現象的なシステムの因果関係に還元できないが、それに依存する創発的な現象と考える。(つまり、意識を持たない要素の集まりに意識が生じると主張する。)
Emergentist IITは汎心論とは対立する
IITを創発主義の立場で解釈したEmergentist IITは汎心論とは相容れないことを議論している。
マクロとミクロ
Hoelらのcausal emergenceを紹介している。ミクロレベルの状態よりも、複数のミクロ状態を1つのマクロ状態とみなしたときのほうが、よりシステムの状態変化を予測できる。つまり、(ミクロレベルでシステムの挙動が決定されている場合でも)システムの状態の決定をマクロレベルが行うように見える。この現象をcausal emergenceと呼んでいる。
*私は、Hoelらの研究は強い創発とは関係がないと考えているが、この論文の著者はEmergentist IITをサポートするために、Hoelらの研究を使おうと考えているらしい。
Cusal emergenceに関する議論
Dewhurstはcausal emergenceは単にシステムを記述するのによいスケールを示しているに過ぎず、causal emergenceは強い創発ではなく、弱い創発であると言及している。
しかし、強い創発と弱い創発の区別はそれほどはっきりしておらず、筆者は、ここでは、causal emergenceが観測者に独立であるならば、強い創発と呼んでいいのではないかと主張している。
(強い創発は、創発した因果を、要素レベルに還元できないと主張し、弱い創発では、要素レベルから予測できないと主張する。還元の定義も人によって異なることがあるが、この論文では、かなり都合よく定義している感じがある。)
結論としては、記述するのによいスケールは、システムの構造によって決まるので、観測者に独立である。そのため、ここでは強い創発であると解釈している。
Emergenceの条件
創発の条件として、ベースの因果特性に依存することと、ベースに対して自律である(あるいは非還元的である)ことがる、としている。
依存条件について、(i)機能実現(funcutional realization), (ii) 因果 (causality), (iii) 随伴性(supervenience), (iv) 融合(fusion)という4つの解釈方法がある。
自律性については、(i)非線形性(non-linearity), (ii)多重実現(multiple-realizability), (iii)根本性(fundamentality), (iv)下向き因果(downward causation)の4つの解釈方法がある。
依存条件について
機能実現とは、マクロレベルの機能がミクロによって実現されることであるが、IITでは機能を扱っていないため却下。
随伴性(supervenience)は、マクロの違いがミクロの違いなしに生じないことを意味し、Hoelも論文で言及しているが、IITを創発のコンテキストで解釈するうえで適切ではない、と主張している。随伴性では、マクロとミクロが同時に存在すると考えるが、causal emergence はミクロレベルの因果的効力を無効化すると考えるので、同時には存在できない。
融合は、インタラクションによって部品自体の振る舞いが変化することで、IITを解釈する上で適切であると主張している。
自律条件について
非線形性は、観測者のモデルに依存するので却下。
多重実現は、さまざまな機能が異なる物理実体によって構成できることを指すが、統合情報は物理特性によって決まるものであり、機能ではないので却下。
結論としては、IITにおける自律条件として「下向き因果」が適している。「下向き因果」はマクロがミクロに因果的効力を持つということ。統合情報は、要素に対して新しい因果的効力を持つべきである。
結論
IITを創発主義的に解釈することで、汎心論を退けることができる。一方で、マクロレベルがマルコフ過程に対して影響することが可能か、といった問題がある。
所感
哲学論文。。。。読むの大変で、完全には理解できなかった部分もあり。。。
そもそもトノーニのグループも、汎心論ではなく、創発主義に近いと思う。一方で、下向き因果は、力学系とか複雑系が前提としているマルコフ過程と明らかに整合しない。マルコフ過程は、ミクロレベルでマクロは決定し、マクロがミクロに原理的に影響しないから。このことから、下向き因果の問題をうまく避けながら定式化を目指しているのだと思う。
こういった背景から、私は、意識理論の発展にとって「下向き因果」はとても重要な位置付けにあると思っている。
私の下向き因果の考えが正しければ、IITと融合して新しい意識理論が発展できると思うのだが。それは、まだまだ先の話かな。