30 行き場のない感情とともに
新潟県津南町に行ったときのことだ。
その宿はわたしのお気に入りで、人生で初めて2度も泊めさせていただいた宿である。
宿のイチオシはなんといっても”料理”。
新潟県の厳しい自然が作り出すお米と、その土地で収穫される作物をふんだんに使った料理が提供され、何を食べてもハズレがなく、和食の素晴らしさをわたしに教えてくれた。
心が優しくなる味。わたしはそう感じた。
だけど、今回の主題はそこじゃない。宿についての投稿はまたの機会にさせていただく。
その宿にひとつの観光冊子が置いてあった。「雪と旅」という名前の観光冊子をわたしは旅館の自室で読んでいた。
雪国観光圏という団体が制作しており、津南町の見どころや施設、お食事処なんかが紹介されている。
わたしはその冊子のコラムっぽい記事を読んでいたのだが、身をつまされるような、なんとも淋しい感情に襲われた。
調べてみたらどうやら無料で読めるらしいので、時間に余裕があって、わたしのために時間を使ってやろうという方がいらっしゃったら是非とも読んでみてほしい。
雪が消えると、という題名で始まるこちらの記事は、魚沼の土地と、その土地で暮らす人との関わりについて書かれている。
ゼンマイ採りや、山菜取り、藁仕事など、雪国で暮らす人が自然と共生してきたエピソードが添えられており、その土地に敬意を示してきた様子が事細かに記されているのだ。
文章を読んでいるとその時の情景が脳裏に浮かんでくる。昔の人は山を信仰の対象としてみていたこともあるのだろう、自然とともに暮らす大切さがひしひしと伝わってくる。
わたしはこういった日本の古き良き、みたいな内容がすごく好きである。なんだか気持ちがほんわかするから。
だけど、この文章を丁寧に読み進めていくと、最後にこんな文章がある。
わたしはこの文章が心にずっと刺さっている。
別に都会の人を非難したいわけじゃない。その人は多分知らなかったのだろう、自然の摂理を。どうせまた翌年になったら同じようなゼンマイが実っているのだろうと思っていたのだろう。
うどだって多分同じだ。また翌年になったらたくさん獲れる。こういうものはだいたい根から切れば間違いない。だってもったいないから。多分そんなところだろう。
だからこそ、やるせなくなる。
その土地とともに過ごしてきた、いや、もしかしたらその土地に生かされてきた人たちなのかもしれない。
その人が生まれるもっともっと昔からその土地は生きていて、その土地で暮らすたくさんの人たちを見てきた。
いろんな人の一生を見て、たくさんの笑顔をみて、時には一緒に悲しんで、そこで暮らす人たちのそばに寄り添ってきた。
時には災害が起こったかもしれない。でも、畏怖の対象とはなれど、怒りを向けられるようなことなかったのだろう。
でもそれが自然の摂理であり、その出来事の積み重ね、繰り返しが、その土地を豊穣なものとし、みんなに崇められるような対象となったのだろう。
その土地のこれまでに思いを馳せ、まるで自分がそこでずっと暮らしてきたかのような気持ちになって、
なんとも言えない感情を抱いてしまう。
この感情をどうしたらよいのだろうか。わたしは旅館の自室で、どうにも行き場の行かない感情を抱えて、途方にくれたのを覚えている。
雪白真冬