Paul McCartneyから考える英語教育に関する個人的感想
朝、目覚めると、すぐにある曲が脳内に流れ始める。
自分でもどうしてかよくわからないが、その曲はPaul McCartneyの「Hot as sun」というインスト曲だ。
ポールの最初のソロアルバムに収録されている曲で、苛立ちと欲求不満、不完全燃焼を感じさせる、いまいちパッとしないこのアルバムの全体的な印象の中で、この曲は南国トロピカルな軽めの曲調が特徴である。
ポールはthe Beatles期からソロ期にわたって説明不要の超有名曲が他にも多数あるのに、私はなぜかいつも「Hot as sun」。
紫外線をhateしている私が、南国ビーチなど興味があるはずもない。
部屋の窓はすべて黒いスクリーンでカバーして、日中でも暗黒の中で生活している私がトロピカルなわけがないだろう。
それなのに起床後すぐに「Hot as sun」。
これは一体どういうことだろうか…。
イラっとくる想い出が閃光のごとく蘇ってくる
今からかなり前の話であるが、ある一人の古い友人と談笑している時に、何かの話題になって(たぶん…洋楽に関する話題)、英語の「as」という単語の発音を、その友人から…
「プッフフ!ちゃう、アスちゃう、アズ」と、訂正するよう注意されたことがあった。
…。
マジくっそムカつくほんま。
何でもええやろマジでクソが。
テン付くか付けへんかの話してんちゃうわハゲが。
これだ!と。
このムカつき…
このしゃくに触るウザさ
そうか、と!
この古い友人は、私が正しければ、現在もある大学で教鞭を執っているはずであるが(英語系)、私たちの親交はその後の途絶えた。
(この「as」の一件が直接の原因となり、絶交に至ったわけではないです。その後、ごく自然にそうなっていったのです。なんでかっていうと、この人間は本質的にクソ野郎だからです)
で、何が言いたいのかというとですね…
色々はしょりますけれども、この私のかつての友人のような、クッソ半端に、そこそこ「知的」などと周囲から言われるような人間が、この国の英語教育に対する考え方や英語教育そのものを役に立たない、村の中で恥をかかせるためだけの機会に貶めてしまったのではないかという個人的な感想になります。
正直、発音なんぞどーでもええやろマジで。こいつらも所詮「カタカナ英語」やろクソが。そんなもんは直接現場で身に付けていったらええんや。
また、会話というものが(意思を伝える・伝えようとすることが)最優先させるべき問題で、たとえ英語「学」としてはむちゃくちゃに破綻していたとしても、それより会話を楽しくできたら(相手さんにぼんやりでも伝わったとしたら)それで100点なんちゃうんか。
ある俗物英語教員の独り言
「なにがなんでも学やないとあかん!教えるのは学や。そうでないとあかんねや。英語学や!学!なにがなんでもや!重箱のスミ突っついたる!みんなやったはる!前にならえや!みなとおんなじ教え方してったらそんでええんや!そんでええ!」みたいな流れでずっとこれまできただけ。
そんなわけで、この国の多くの人たちは現在でも英語が苦手。
〔これは考えられる数多くの原因のうちの一つにすぎません〕
今朝もまた私の頭の中には自然と「Hot as sun」が大音量で流れてきた。
そして今、実際に「Hot as sun」を聴いている。
Paul McCartneyはやっぱり最高です。
なんとなく、伝わったら、それでいいです。