John Bowlbyの「母子関係入門」(邦題)に関して②
Bowlbyの「母子関係入門」の続きを作成しようと母子関係入門を読み返していたのだが、読んでいるうちにだんだんと記事にする意味を感じなくなってきた。
(この「母子関係入門」と、Bowlbyのその後に出版された「A Secure Base」は個人的には素晴らしい内容と考えています。絆、きずな、結びつき(関係)などを考えたい人には自信をもっておすすめできるが…)
心理学など習おうと思えばどこででも簡単に習うことができる。「知っているか、知っていないか」の知的学習など人の心においてほとんど意味がない。そんな知識は「内向きの」知識で頭を大きくするだけのように思う。
(用語の定義など説明しても意味がない)
私がnoteで伝えたいものはそういった「薄まった知識」ではなくて、もっと濃くて、実際的で、困っている人たちの「血肉」になるようなものだ。
分析の「防衛」とか「アンビバレンス」などを細かく説明して、それが一体何のためになるのかわからない。読んでいる人には「ほぅそうか、それで!?」という風になるだけで。
そういうものは大学でやっておればいいのでは。
気持が沈む、イライラする、心配事があって眠れない、など、どうにかして問題を改善しようと良い方法を探し回っている人も多いのではないか。
いろんな本を読んでみたり…色んなことを試そうとしたり…。
実際に役に立つ、効果がありそうな方法は、やはり、一つには、人の心を「誠実に学んでいる人」と実際に会って対話するということです。
私はそれが一番その人の「何かに繋がりそうだ」と思います。そういった対話の中で自分が自分で自分の答えを見つけていく、そういう過程と踏むというか、そういう作業を繰り返し行っていくということです。
それが一番、ご自身で納得できる方法と思います。
でもそれは、そう言うのはすごく簡単ではあるが、実際にそういう相手を見つける、探す、というのは相当に難しいですよね…。
(これが本当に難しい)
私の個人的な話をすると、私も患者として精神科へ行ったことがあるし、医師や心理の著名な先生とも話をしてきたこともあるし、同じ心理学を学んでいる同僚ともたくさん話してきたけども、はっきりいって、その中で自分の役に立ったものなど、ほとんどありません(笑)
(ここで「役に立つ」という意味は、自分の気持ちや自分の心のために、何か新しい光が差し込んでくるような、希望の種が土から芽を出してくるような、そういった、次の局面へとつながるような、そういった体験になるかどうか、という意味です)
人と話せば話すほど、自分のことを「一緒になって真剣に考えてくれる人」などいない、ということがはっきりとわかるだけです(笑)
こういう残酷な現実の中で、「真剣に考えてくれる人」、そういう人を見つけるまで、戦い続けることが、できるか、どうか…。
なんとなく、伝わったら、それでいいです。