専門的な用語を多用する人間には注意するんや
専門用語を使いまくる人間には注意した方がいい。正直、そういう類の人間っていうのは、あんま役に立たん、っていうか、よくないっすね。
そういう相手は大概結構ヤバいが、こっち、自分の方も、何かを話す時には、概観しか示していないような簡略化された言葉を使うことはできるだけやめた方がええです。
要するに、単純化された言葉、専門用語的な言葉を、なんや、いっちょ前にわかった風に使うなってことです。
(例えば「パワハラ」みたいな用語…。日常的に安易に使ってしまってませんか)
どっかその辺で、適当な世間話みたいなことをするだけなんやったらあんま気にする必要ないけど、真剣な話の場で「専門的な用語」を抵抗なく当たり前のように使いまくると、それだけで混乱する原因になる(っていうか、なりやすい)。そういった意味が限定された言葉とか使ってても伝わることが限られてくるってことを知っておくことが大事です。
何かの「病名」でも同じ(「病名」とか言うの好きではありませんが)。
「病名」っていうのは、心の状態のことを言っています。
例えばこういうことです。
人に「うつです」と言うのよりも、人に「気分が重いんです。気分が落ちこんでしんどいんです。夜が寝られず、食欲もありません」と「表現する」方が、何倍もbetterってことです。
自分の気持を、たったひらがな2文字で(要するに「うつ」などと)言い表すことなど、ちょっと考えてみればすぐにわかるはず。
そんなことはそもそも不可能です。んなもん当たり前や。
人の気持ちは、たとえちょっとした悩み事だったとしても、文字数にしたら数千~数万。A4とかで数千ページとかになる(例えばですよ、これは)。
それを一つ一つ話していくことがとてもとても大事だし、そして、それに耳を傾けてくれる相手がいることがことがむちゃくちゃに重要(相手。これがむちゃくちゃ重要)。
専門用語ってのは、だいたいは…、その用語を使用する側の人間が、他の同じ種類の人間とできるだけ無駄がなく、短い時間の間に、効率よく、意思疎通(コミュニケーション)するためだけの単なるツールにすぎない。
それは色のない、没個性の、スタンダードな、背丈の整えられた、画一世界の言葉、そのもの。
(逆に言えば、不安定でとりとめもない、非常にめんどくさい、生っぽい人間の意思疎通や交流、そういったものをできるだけ避けてしまいたいと、意識的にか潜在的にか、そう思っているような類の人間が、好むものかもしれない。そういう側面もある)
言葉に「生々しさ」が欠けていたら一番大切なこと、伝わらんぞ。
心には。
なんとなく、伝わったら、それでいいです。