【エッセイ】「先生はトイレじゃないことくらい知っている」話

「先生トイレ!」
「先生はトイレじゃありません。」

学校でのあるあるワンフレーズとして最も有名なもののひとつ。

しかし、「先生がトイレだ」と思っている子どもは、これまでの歴史上存在したのだろうか。
「先生をトイレだと思っている」と思っている先生は、はたして、いただろうか。

よく日本語は、文脈の言語だと言われる。

文脈の中で言わなくても伝わるような情報はバンバン省略される。

毎回「I」も「You」もつけない。

学校という場所で生徒が先生に「先生、トイレ。」というとき、ほぼ確実に先生と生徒の間には、「先生、私はトイレに行きたいです。」という共通認識がある。

日常でも、共通認識の上で、文脈の中で、さまざまな言葉が省略されるが会話が成り立っているのだから、わざわざこの”トイレ”ケースだけ引っかかって、責めるようなことはしなくてよい。

これを「注意」「指導」と捉えるならば、このやり取りや注意の仕方はしなくていいと思う。

中学生、高校生と成長すれば、共通認識のない相手には省かずに言わないと通じないことはわかってくる。
それに、「先生がトイレではないこと」より、「最後まで言わないと伝わらないこともある」と教えたほうが簡単で実践的だ。

一方で、このやりとりが必要な場合もある。

「先生トイレ!」→「先生はトイレじゃありません。」

という会話自体が共通認識として成り立つ場合だ。

みんながこのフレーズを知っていて、「ネタ」という共通認識があって、言ったらウケるという状況下。

「お笑い」として成り立つ空気感であれば、ガンガン言っていっていいと思う。

というか、今の時代はそっちとしての使い道のほうが多いか。

先生には「注意」としてではなく、「和ませるため」の使用をオススメする。


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