「日本産淡水魚」×「暗渠」×「人文」 【#魚に出会える本屋さん】店主の自己紹介 その3 #人文
川上弘美『あるようなないような』
きっかけは教科書で読んだ川上弘美の「境目」というエッセイでした。
これを気に入って、『あるようなないような』というエッセイ集を買ったのが、中学生の時でしょうか。
「文体」というものを意識したはじめだった気がします。
古谷実『行け! 稲中卓球部』
よく読んでいたのは漫画でした。
ただ、好きだったのは古谷実・うすた京介・藤崎竜・かわぐちかいじなど、「マンガ」から文芸、他ジャンル・他の学問へのつながりがあるような漫画家でした。
保坂和志『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』
読書の幅が広がったのは大学に入ってからです。
しかし、あんまりきちんと読んでいなくて、雑多につまみ食いする感じの読書になってしまったのはよくなかったなと今よく思います。
専門は国文学だったので、文学や哲学を体系的に読めばよかったなと。
大学時代に読んで「うわー」ってなったのは、保坂和志『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』(草思社)です。
嫌な大人になったことに自分で気づけないような大人にはなるな!ということで、これは私が中3からもやもや考えていたことでした。
古谷実『シガテラ』
あと、大学生になってから『稲中』以外の古谷実作品をいろいろ読みましたが、今思うと、『シガテラ』とかにはかなりその後の自分が規定されている気がします。淡々とした日常を誠実に生きることです。
加藤典洋『敗戦後論』
卒論は、太宰治における「他者性」について書きました。その過程で、加藤典洋の『敗戦後論』(ちくま文庫)を読むわけですが、これにもかなり影響を受けていると思います。文学の側にいること、負ける側にいる、ねじれを自覚するということです。
安田謙一『ピントがボケる音』
社会人になってからも、雑食なまま関心が動き続けている感じです。
そのなかで、どこで本を買うか、誰の書いた本を買うか(読むか)、誰の薦める本を買うか(読むか)、どこの出版社が作った本を買うか(読むか)というのは常に最重要課題の一つでした。
社会人(国語科教員)になってすぐは「松丸本舗」があったので、よく行ってました。あんまり何を買ったか覚えていなかったですが楽しかったですね。
教育書は神保町の三省堂に多いので、仕事で行き詰まったらよく買いに行ってました。
普段使いは小田急で30分の新宿紀伊国屋が一番多かったと思います。武蔵野館とかシネマカリテ、ディスクユニオンと一緒に行けましたし。
しかし更に近場で買うようになり、独立系の本屋にも行くようになったので大型書店にはあまり行かなくなりました。行くんだったら、池袋のジュンク堂まで行っちゃう感じです。ナショナルチェーンだと最近は私にはあそこが一番楽しいです。あとは近くの山下書店でe-honで済ませてしまうことが多くなっています。e-honを使い始めてからAmazonはやめました。
いわゆる独立系の書店は自転車圏内でたくさんあるのでよく行きます。B&Bさん、SPBSさんなんかですね。あとは最近キャッツミャウさんなど。
古本屋は、経堂の大河堂書店さんが昔から好きです。読んだことのない作家の本が読みたくなったらとりあえず大河堂さんを探します。あと、ビビビさんでは音楽本をよく買いました。安田謙一『ピントがボケる音』とか(最高の本です。一生読んでいられる。いまだに聞いていない音楽ばかり。あの本の功績は加藤和彦の再評価。)。いまだに入荷していますよね。ビビビさんは昔から夏葉社の本を取り扱っているのも大きい。
あと、ほん吉さんがあるのは本当にありがたい。文学・音楽・サブカルはもちろんなんですが、教育書の古書が充実していたり(斎藤喜博を買いまくった)、キリスト教書がしっかり揃っていたり、私の移り変わる関心にいつでも応えてくれます。
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