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漁具工学という研究分野

今回は以下の論文について紹介します。
Design of trawl otter boards using computational fluid dynamics
Yuki Takahashi, Yasuzumi Fujimori, Fuxiang Hu, Xiaoli Shen, Nobuo Kimura
Fisheries Research 161 400-407 2015年https://doi.org/10.1016/j.fishres.2014.08.011


漁具工学という研究分野

漁具工学という研究分野があることをご存じでしょうか?

自分のキャリアは漁具研究からスタートしています。

最初両親に漁具研究を始めることを話したときは、「そんな分野あるの!?」みたいなリアクションだったことを覚えています。

漁具工学は、漁具、つまり魚を獲る道具(網だったり、ウキだったり、重りだったり)を対象に、

「どんな形状であれば、より効率的に魚を獲ることができるか」
「ほしい魚だけ獲れるような漁具はどのような形状か」

といったことを研究する学問です。

水産学の中でも、さらに研究者が少ない分野でもあるので、ぜひこれを機に興味を持ってもらえたらと思っています。

トロール漁業とオッターボード

世界には様々な形態の漁具・漁業があります。

その中でも、主要なものの一つとして「トロール漁業」というものがあります。

以下がトロール漁業の概念図です。トロール漁業は大きな網を船で曳くことによって、魚を漁獲する漁業です。

オッターボードを用いたトロール漁業の操業概念

このトロール漁業に用いられるのが「オッターボード」です。

オッターボードは、上図の通り網をより大きく広げるための役割を持っています。
※トロール漁業は他にも、二艘曳きやけた網等の形態もあるのですが、ここでは割愛させていただきます。

このオッターボードの設計においては、拡網力抵抗力が重要な設計指標になります。

まず、拡網力は読んで字のごとしですが、網を広げるための力です(研究的には"揚力"と言いますが、ここでは分かりやすく拡網力で統一します)。
この拡網力が小さいと、網の広がりが小さくなります。

もう一つ重要なのが抵抗力です。
これは、網をひいているときに水から受ける抵抗のことです。

抵抗力は小さい方が、オッターボードはスムーズに動き、網を引っ張っている船が使用するエネルギーも小さくて済みます。

つまり、オッターボードは「拡網力が大きくて、抵抗力が小さい方がいい」ということになります。

過去には、どのような形状が「拡網力を大きくし、かつ抵抗力を小さくできるか」ということに着目して、下図のように様々な形状のオッターボードが設計されてきました。

オッターボードの進化の系譜図
漁具物理学(松田皎 編著、2001)より引用

今回紹介する研究は、「こうしたオッターボードの設計をシミュレーションによって実施できないか?」ということを検討したものです。

もしシミュレーションでの設計が可能になれば、実際のオッターボードを作製する前にPC上で様々な形状のオッターボードを試すことができ、より短時間で、拡網力に優れたオッターボードが発見できるかもしれません。

車や飛行機の設計に用いられているシミュレーション技術;CFD解析

本研究では、シミュレーション技術の一つであるCFD解析に着目して研究を行いました。

CFDはComputational Fluid Dynamicsの略で、日本語にすると「数値流体力学解析」です。

CFD解析はコンピュータ上で流体の運動方程式を解いて、対象物周りの流れをシミュレーションするものです。

車を対象としたCFD解析のシミュレーション例。上図は様々な計算条件で解析を行い、車の周囲にどのような流れが生じているかをシミュレーションしています。
引用元:Peng Qin, Alessio Ricci, Bert Blocken, CFD simulation of aerodynamic forces on the DrivAer car model: Impact of computational parameters, Journal of Wind Engineering and Industrial Aerodynamics, Volume 248, 2024, 105711
https://doi.org/10.1016/j.jweia.2024.105711.

例えば車は、走行中空気からの抵抗を受けています。

この空気抵抗を減らすことができれば、車はよりスムーズに走行出来て、燃費の向上にもつながります。

この空気抵抗を小さくするために、現在CFD解析が用いられています。

つまり、一度仮想空間のシミュレーションで様々な形状の車体に対して空気の流れを当てて、その車の抵抗や、空気が車の周囲をどのように流れていくかをシミュレーションします。

そして、流れがスムーズで抵抗が小さくなったことをシミュレーション上で確認してから、実機の作製に移ります。

このプロセスによって、実機作製の試行錯誤の回数を削減でき、車の設計の効率化が可能になります。

漁具でも同じで、拡網力を大きくできる形状をCFD解析を用いて設計できれば、設計の効率化が期待できるのですが、これまで漁具に対してCFD解析はあまり用いられてきませんでした。

そこで、漁具に対してCFD解析を適用しようとしたファーストステップの研究が、今回紹介する論文になります。

模型実験とシミュレーション

前の記事でも書きましたが、シミュレーションの最大の課題は
現実の現象を再現できているか?
にあると考えています。

そこで、まずは「シミュレーションが現実の現象を再現できているか?」を確認する必要があります。
これを精度検証といいます。

この精度検証を行うために、模型実験がよく行われています。

模型実験は、実物を小さくした模型を作製して、その性能を実験施設で検証する実験手法です。

研究の流れとしては以下の通りです。

  1. オッターボードの1/10模型を作製

  2. 回流水槽という水槽に模型を沈めて、水槽内で流れを起こす

  3. オッターボード模型に生じる力(拡網力と抵抗)を3分力計で計測

  4. 同条件でCFD解析によるシミュレーションを実施

  5. 実験値とシミュレーションを比較

ここで精度検証の対象にしたのは、「複葉型オッターボード」です。

複葉型オッターボードは、その名の通り2枚の板から構成されていて、安定性と拡網力に優れたオッターボードです。

複葉型オッターボードの概要図。Fore wing(前翼)とRear wing(後翼)で構成されていて、高い拡網力と安定性を有することで知られています。
引用元:Design of trawl otter boards using computational fluid dynamics. Yuki Takahashi, Yasuzumi Fujimori, Fuxiang Hu, Xiaoli Shen, Nobuo Kimura. Fisheries Research 161 400-407 2015年

また、以下の図は模型実験と実験システムの概要図です。

回流水槽での模型実験の様子。金属製の複葉型オッターボードの模型を水中に沈めて、そこに流れを当てて、発生する拡網力や抵抗を計測。

また、以下が実験システムの概要図です。

細かい説明は省きますが、オッターボードの模型に3分力計という計測器を取り付けて、様々な計測器で調整を行って、発生している力の大きさをパソコンで取得します。

実験システムの概要図。三分力計では、力の大きさを電圧で取得し、その電圧値を最終的には力の大きさに換算して測定します。本図は下記の引用元図を一部改変して掲載しています。
引用元:Design of trawl otter boards using computational fluid dynamics. Yuki Takahashi, Yasuzumi Fujimori, Fuxiang Hu, Xiaoli Shen, Nobuo Kimura. Fisheries Research 161 400-407 2015年

実験とシミュレーションの比較結果

そして、同条件でシミュレーションを実施して、シミュレーションと実験値の比較を行った結果です。

シミュレーションと実験値を比較した図。
○:実験によって得られた値、●:CFD(シミュレーション)によって得られた値
実線:拡網力(Lift)、点線:抵抗力(Drag)
引用元:Design of trawl otter boards using computational fluid dynamics. Yuki Takahashi, Yasuzumi Fujimori, Fuxiang Hu, Xiaoli Shen, Nobuo Kimura. Fisheries Research 161 400-407 2015年

このグラフは縦軸が拡網力及び抵抗力、横軸が迎角を表しています。

迎角というのは、オッターボードに対する流れの角度です。
実際の状況では、オッターボードは様々な姿勢になるので、色々な角度での性能を検証する必要があります。

そこでこの研究でも、0~70°の範囲で角度を変えて計測とシミュレーションを行い、その結果を線でつなげています。

まず拡網力(図中の"Lift")を見てみると、このシミュレーションの結果では、低い迎角(0~15°程度)では、若干の誤差が見られます。

ただし、
①「どの角度で最大の拡網力が得られるか」
②「その時の拡網力がどの程度か」
については、実験とシミュレーションで似たような値を示しており、よく一致していることが確認できました。

加えて、抵抗力(図中の"Drag")についてはすべての迎角で、実験とシミュレーションがよく一致していることが見て取れます。

以上から、シミュレーションでもオッターボードの抵抗や拡網力を、実験と同様に評価でき「漁具でもシミュレーションによる設計が可能である」という結論に至っています。

研究を終えて

この研究は、実験値とシミュレーションを比較した研究です。

逆に言えばそれだけで、この研究で素晴らしいオッターボードを設計できたわけではなく、「漁具設計にシミュレーションを活用するために精度検証をファーストステップとして実施した研究」になります。

研究というのは時に地味なものです。

ただ、2015年当時としては、漁具にCFD解析を用いた研究は少なかった(全くなかった訳ではないですが)こともあり、1本の論文として採択頂き、比較的多く引用もしていただいています。

ちなみに、この論文は、私のキャリアでは一番最初に採択された査読付き原著論文です。

この研究はあくまでもファーストステップです。

この後、この研究を基に実際にどのように設計すればいいかという研究も発表しています。

こちらについても、後々の記事で紹介したいと思います。


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