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僕が頑張る理由

先週の1週間も怒涛のように過ぎていった。
日々の業務に加えて来年度の事業計画をたてていく時期なのでいつも以上に打ち合わせなどで僕のスケジューラーは隙間なく埋まっていく。

打ち合わせするには打ち合わせができる内容が整っていないと始まらない。
そのためには資料づくりの時間が必要なわけで、他の人に作業を依頼するにしても自分の中で何をどこまで依頼するのかなどの頭の回しが必要で、
つまり考える時間が必要なのに、忙しくなればなるほどその時間を確保するのが難しくなっていく。

考えられていない資料で関係者が集まって打ち合わせをしても建設的な議論にならず生産性は上がらないので、誰かの準備不足はその人だけの歯車を狂わせるだけではなく、多くの人に影響を与えていく。

そう考えると僕が皆の足かせになりたくないので、頑張る。

頑張る理由にそういった部分があることは自分でも認識していた。

他にはというと、予定が詰まっていて考える時間が限られる中でも徐々にでも一定レベルのアウトプットができるようになってくる嬉しさを感じる部分もあったりする。

「時間がない中でここまで絞り出して打ち合わせを乗り切ることができた」

これらを繰り返し、繰り返し続けていく中で厳しい状況に置かれても最終的には何とかしていく術をあみ出していく。
それが、「自分は成長している」という自信につながるのだ。

ここまでは自分が認識していた頑張る理由なのだけど、
この間の金曜日に他拠点の同僚が、「RUOとらさんのスケジューラーをみると恐ろしい状況になっているので、慰労してあげます!」といって飲み会をセットしてくれた中で若手の1人が、「なぜそんなに頑張るのですか?体を壊してしまいますよ?」と問われたときに自分はこんな返しをしたのだ。

「俺の兄貴は重度のダウン症で自分の気持ちも上手に表現できない。それなのに俺は五体満足に生まれ、好き嫌いを言うことができて、自由に生きている。そんな環境にいる自分が頑張らなくてどうするんだ!そんな気持ちで仕事に取り組んでいる」

自分でもびっくりした。
僕の頑張る、頑張れる根底にはそれがあったのだ。
兄貴の存在が今の自分を作り上げているのだ。

『きみの人生に作戦名を。』という梅田悟司さんの本を読んでいる最中で、自分の中に眠っている見えない一貫性を見出し、自分の人生に作戦名をつけて自分の人生のオーナーシップを取り戻すというワークをしている。

兄貴の存在が見えない一貫性のひとつだということに気がついた瞬間だった。


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