映画『君の名前で僕を呼んで』を語る 【旧作映画レビュー】
今更ながら語ろうか。2017年公開の映画、ルカ・グァダニーノ監督作「君の名前で僕を呼んで」
タイトルが詩的で美しいのは言うまでもない。
詩的なのはタイトルだけかと思いきや、もう映画全体が詩であるといっても過言ではない。基本的には行間を読ませ、表現に含みを持たせ、綺麗な景色を味合わせ、世界観に浸りながら各々の想像力を掻き立たせて、人物の心情の揺れ動くさまを見落とすまいと感じ取る。
注目の矛先をティモシー・シャラメ演じる主人公のエリオに持っていきたい。
彼は17歳で非常に多感な時期だ。誰だって思い起こせば分かる。彼を見て過剰だとか大袈裟だとか言うのは野暮だ。
同時にまだ純粋さを併せ持っている。
普通に女性とも付き合っている。お互い愛情を惜しむことなく伝えあうも、一つの壁はまだ乗り越えられない。しかも親とはそれらを打ち明けられる関係性なのだ。
開けっ広げな会話は純文学によくありがちなこと。ある種一つの異世界感も、天国感も、本能むき出しのはしたなさも感じるが、この映画のスタンスがハッキリと分かる。よくできた物語や面白おかしいストーリーを作って見せたいのではない、純文学的にこの世界観の中での主人公の気持ちの移り変わりを緻密に描き出したいのだ。
これは監督の持ち味ともいえるのだろう。最近公開された新作の「チャレンジャーズ」とも結び付けてみたい。
登場人物はどこか理性が利いていないようにっ感じる。本能むき出しという言葉は恐らく望ましくなく、欲望に忠実とか、堕落を極めし動きを再現、と言った方がしっくり来はしまいか。
人間の理性を表す衣服というものを身に付けている場面が少ない。上半身裸でパンツ一丁、なんなら下も履いてない場合がある。
画面に映る裸の割合の高さ。サブリミナル的に開放感を叩き込まれ、自分の欲に対して正直な主人公を人間のもう一つの側面として受け入れる。
水にぬれている場面も然り。プールと言い、川と言い、チャレンジャーズの場合はシャワールーム。現代文明の中で人間は身体が濡れていると不都合を感じやすく、居心地が悪いはずだ。
それもこれも人間の片側であって、この映画ではそこにこそ登場人物たちは幸福や快楽を得ている。
だからなのか。汚いシーンを汚いと思わせない。
下品な会話もただ楽しそうに思えるし、よく出てくる排泄シーン、何なら嘔吐シーンもあるけど、人間の内にある汚いものを出すことを一つの美としてカタルシスを得られる。なぜか生理的に受け付けない、という感情にはならない。
エリオの部屋に侵略者が来た。教授である父の助手としてきたオリヴァー。年齢は24歳とのことだが、エリオとはどう見ても年齢以上に大人と子供の差がある。
オリヴァーもまた自由奔放な人間だ。家族の食事の時間には来ないし、いきなり来てすぐに寝ては起きてこない。睡眠欲に忠実と言ったところか。
エリオは生活領域をこんな人間に侵されてたまったものじゃないと感じている。オリヴァーはいつも卵を上手く食べられておらず、ダンスに行ってはエリオの周りの女子たちからちやほやされて、明らかに主人公目線からして敵視の対象だ。
そんなエリオが、目の敵にしていたオリヴァーに対する感情に揺れが生じ始めてきたのはいつだったか。ほんの一瞬だったし、些細な出来事だった。やはりこの時期の男子の精神状態は不安定なのである。
エリオにとって生活圏内で最も注目していた人物がオリヴァーであったし、好きと嫌いという真裏の感情であってもリバーシブルのように簡単にひっくり返るだけだったのである。
欲に忠実に動くエリオはこっそりオリヴァーのパンツをかぶってみる。このシーンを可愛く思えたのは、ティモシーだからか、監督の手腕か、私が異常なのか。
林の入り口、草原で立った二人。寝転がってキスを交わし思いを打ち明けあう二人。この時、間違いなく世界はこの二人以外に誰もいなかった。
はずだ。
とてつもない恍惚の瞬間だった。これを機に女の子に対しても一線を越えられる勇気を手に入れてしまったエリオ。そしてエリオとオリヴァーは二人で部屋で行為に至る。
一線を越えてしまった二人の関係は、オリヴァーはいずれ帰ってしまうという前提のもとに、長くは続かないことを誰もが知っている。そんなことこの時のこの二人には関係のないことである。ただ、この刹那を、恍惚にふけって、欲のままに動きたい。ただそれだけである。
親父を介して出会った二人、運命に仕組まれ結びつき、悪戯に離れさせられることを約束されながら、男と男、未成年と成人、全てのシチュエーションが背徳感に代わる。そして、刹那と欲望だけを大事に生きようとさせる。
相手に愛を伝えたい。愛を伝えられたい。その究極の表現がタイトルの通りであった。自分の名前で相手を呼び、相手の名前で呼ばれる。同性の二人だからこそ許された営みである。
この出来事を境に、相手を好きになりたい感情と、相手に好かれたい感情に変化が見え始める。
明らかに変わってしまった。それはエリオが特に顕著だった。
急に「相手に嫌われたくない」という感情になってしまった。
何年も付き合うとそうなりかねないが、この二人の行為があまりに濃密だったのだろう、あまりに時間を超越させてしまったのだろう、あまりに超えるはずがない高い壁であったのだろう。
これ以降、エリオが画面に映るときに服を着ている割合が格段に増えた。それはオリヴァーを目の前にした時もだ。
唯一、桃を相手にした後の睡眠中に、部屋にオリヴァーが入ってきたときだけだ。
桃のシーンは凄まじかったから避けては通れない。
裸でダラダラ寝ながら桃をくちゃくちゃ食べ、種を投げるように捨てるという、怠惰のお手本のような場面があった。その後、穴をあけた桃で発情し、思いを巡らせて一人で至った。
賢者タイムに入って上裸でグーグー寝てるとき。誰にも見られてはいないと完全に油断してたのに、起きると不意を突かれたようにオリヴァーに部屋に入られていて、しかも一部始終をすべて悟られてしまった。
見られたくないもの、見られると嫌がられそうなもの、それらを最も離れたくない人に見られてしまったショックで、これまでのオリヴァーに対する接し方と明らかに違う態度を見せる。
17歳の男子の心の動きを緻密に再現する様には感服を致すばかり。
誰しも分かっていた別れの訪れ。エリオにとっては超えるはずのなかった壁をはるかに飛び越えた、そんな間柄のオリヴァーを失った喪失感を隠すことはできない。
切なかった。
お父さんの息子へ贈る言葉、それももちろん素晴らしいんだけど。エリオにこれを理解させることは酷なんじゃないのかな。そりゃあ受け入れられるはずがないよ。
ラストカットでずっとエリオの泣き顔が映ってた。何も言えなくなってしまった。少なくとも私の感性と語彙力如きでは太刀打ちできない。巧く言葉にできなくて申し訳ないけど、この映像を見て感じ取れるのは悲しさとか、悔しさとか、むなしさみたいな燃え上がるような感情じゃなくて、ただの虚無なんだよね。心に穴が開くってこういうことなんだよね。
だって17歳のエリオにとっては、これが世界の全てだったんだから。