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鯨の轍〜新入り埋文調査員の日々〜 第5話

 12時を回って、僕は吉野さんと近くの定食屋に向かった。
「さっきはゴメンね。久能課長が出掛けたタイミングで見学依頼があってね。事務員さんが困っちゃって」
「そうでしたか」
 吉野さんは春まで課長を務めた方だ。事務員さんに頼られても何ら不思議はない。
 調査課はさまざまな理由で他の課とは別の場所に設置されている。そのため調査課で一般客の見学を受け入れることはない。
 だが、稀に他県の調査課や学校から見学にくることはあった。
「で、話の続きをしてくれるかい?」
「はい、ええと」
 吉野さんはなぜか「いいねぇ」と呟く。僕は首を傾げた。
「ごめんね。君を見てると昔の僕を思い出してね。熱くて一所懸命で、不器用でね」
 僕は困惑した。若い頃の吉野さんと僕が似ているのだろうか。
「君が試験を受けに来たとき、僕は面接官の席にいたんだよ」
「えっ、失礼しました。それは気がつきませんでした……」
 吉野さんが面接官。そうなると大勢の中から僕が採用された理由はなんだろうと聞きたくなった。
「君はね、まだ色眼鏡を掛けていなかった」
 もしやステレオタイプのことだろうか。
「お父様から影響を受けた話は聞いたけど、それは情熱の話だよね。それ以外はいたって普通だった。それが良かったんだよ」
 僕はよく理解できずに微妙な気持ちになった。褒められたのか、それとも無個性だと言われたのか。
「ところで先輩に物言いしたって本当かい」
「あっ、いえ、はい」
 埋め戻しの件だと直感した。誰に聞いたのだろうか。僕は気恥ずかしくなり顎を掻いた。でも、埋め戻しの件は後悔していない。
「若くて真っ直ぐな証拠だよ。最初は皆んなそうなんだけどね。忘れてしまうんだ」
「そんなものですか……」
「本当はそんな風に慣れてはいけないけどね。しかし埋め戻しの件はそうせざるを得ないんだよ」
 ルールと言われれば従うしかない。
 確かにその通りだが、何とかすることを考えていくのも若い人の特権、仕事なんだよ――吉野さんはそう話してくれた。
「お尋ねしたかったのは万葉集のことです。これを見ていただけますか」
 僕は鞄から本を取りだし、短歌が走り書きされた頁を拡げた。
「鯨の季語がある句だね。僕も好きなんだ。この字は誰が書いたのかな」
「亡くなった父です」
 吉野さんがこの短歌を好きなことにも驚いたが、もっと驚いたのは「この本、よくあったね」と言われたことだった。
「初版しか出てないんだよ。僕の知人が作った本でね」
 レア物だったのか。そうなると父が本を何処で手に入れたのかが気になる。古本屋だろうか。
「お父上の名は、葛城さんでいい?」
「いえ、石上です。石上一朗」
 鞄からスマホを取り出した吉野さんは、SNSで誰かと連絡を取った。もしや本を制作したという知人だろうか。
「お待たせしました、トンカツ定食です」
「あっきたきた。さっ、食べよう」
 キャベツ山盛りの定食が目の前に置かれると吉野さんは嬉しそうに箸を取り、何事もなかったようにトンカツを頬張った。僕は短歌より本のことを優先されたようで不安を覚えた。
 
 二日後の夕方。出先から戻ると駐車場で吉野さんが待ち構えていた。
「待ってたぞ、葛城君」
 居合わせた三輪先輩は、僕と吉野さんの顔を交互に見つめて怪訝な顔をした。
「仕事はもう終わりだよね。さぁ、乗って乗って」
 吉野さんが僕に向かって手招きをする。
「あっ、荷物を置いてきます。少し待っていただけますか」
 慌てて調査課の席に向かうと、先輩が後を追ってきた。
「二人で何処へ行くんだ?」
 僕は黙ったままで先輩の横をすり抜け、駐車場へ一目散に駆けた。明日は先輩の質問攻めに遭うことだろう。
「突然で驚いただろう。いやはや、すまなかったね」
 運転席の吉野さんは上機嫌に見えた。知人に僕を会わせることは容易に想像がつく。
 本によれば筆者は知円光太朗さん、大学教授と記してある。本は随分と年月が経っているから、御本人は既に定年を越えているだろう。
 少し車を走らせた吉野さんはようやく核心を話し始めた。
「実は例の本の著者が、君のお父上のことを知っていたんだ」
「えっ、本当ですか」
 僕は膝に置いていたリュックを胸に抱える。こんな風に父と出逢うとは想像もしていなかった。
「その方は何処で父に……」
「すまない。詳しくは聞いてないんだ」
 一体どんな人物だろうか。再び話を聞くことにした。
「僕の大学の先輩なんだよ。彼は大学教授だったから、今でも教授と呼ばせてもらってるんだ。でも今は身体を壊して車椅子生活をしているよ」
 父より歳上ならば同級生ではない。二人にはどんな繋がりがあるのか。
「さあ、着いたよ」
 教授の家は郊外で、すぐ近くには丘陵がある。いや、丘というより――。
「あれは古墳なんだよ」
 縁側のほうから声がした。教授は僕らが到着するのを心待ちにしていたようだ。縁側に回ると人懐こい笑顔が迎えてくれた。
「知円教授、ご無沙汰しています」
「吉野さん、葛城さん、ようこそ」
 彫りが深くて浅黒く、この人は若い頃から外を飛びまわった方なのだろうと感じた。もしや考古学の達人なのだろうか。
「どうぞ、遠慮なく上がってくれたまえ」
 居間に通されると、そこには賞状や写真が隙間なく掲げられていた。国内の有名な遺跡はもちろん、海外のさまざまな遺跡や有名人と一緒に撮った写真もある。
「昔はいろいろと冒険したけどね。そのせいで崖から転落してしまって、今はこの生活だよ」
 吉野さんが「今は講演会のオファーが絶えないと聞いてますよ」とすかさずフォローを入れる。お二人はかなり仲が良いらしい。
 三人で談笑していると、奥様が日本茶と洋菓子を運んでくださった。
「葛城くん、面白い組み合わせだろう」
 吉野さんがにこやかに突っ込みを入れた。確かにミルフィーユと日本茶はめずらしい。僕の反応に二人は揃って笑った。何やら含みがあるようだ。
「それにしても古墳が見えるお住まいなんて、羨ましい限りです」
「意外と穴場なんだよ。お墓はなんだか気味悪いと思う人が殆どだからね」
 そう言って知円教授はまた微笑んだ。人を陰と陽に分けるならば、この人は間違いなく陽の人だろう。
「教授、葛城君はあまり遅くまで付き合わせると可哀想です。早速、本題と参りましょう」
 吉野さんがさり気なく背中を押すと、教授は「ああ、そうだった」とテーブルに置かれた本を取った。
「君のお父様は石上さんだと聞いたが、本当なのかい」
「はい。訳あって、葛城というのは母方の名なのです」
「そうか。石上さんは亡くなったと聞いた。本当に残念だ」
 教授は肩を落とした。あんなに明るい表情だったのに本当に寂しげだ。そんなに父を慕ってくれていたのか。
「あの、父とはどのような……」
「うん。石上さんとは遺跡の現地説明会で知り合ったんだったかな」
 父はよく遺跡に通っていた。現地説明会にも行ったのだろうか。
「初めて会った時は小さな男の子を連れていたが――まさか君だったのかな」
「えっ、そうなんですか」
 僕は小さい頃、父とばかり出掛けていた。その時に教授と会っていたのだろうか。
「いやはや驚いた。君たちは初対面じゃないのか。これは隅に置けないな」
 吉野さんも大袈裟なくらい驚いた。
「石上さんは本当に博識でね。本もたくさん読んでいらしたよね」
「そうなんです。家で図書館ができるんじゃないかと。母はいい顔をしませんでしたけど」
「図書館か。それはいいね」
 教授と吉野さんは揃って笑った。僕も不思議な縁を感じて嬉しくなる。父がいればさぞ盛り上がったことだろう。
「石上さんとは何度か遺跡を見に行ったよ。山に行って探検したりね」
「山……ですか」
「君は信じないかも知れないけど、石上さんは、山で鯨を見つけたんだ」
〈続く〉

#創作大賞2024


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