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鯨の轍〜新入り埋文調査員の日々〜 第2話

「一度、こっちに来てくれないか」
 父の葬儀から半年が過ぎた或る日のこと、伯父から遺品を渡す旨の連絡があった。父の住んでいたアパートはすでに立ち退き済みだが、実家に置いたままの遺品整理は伯父に任せていた。
 僕が最後に父の実家を訪れて10年以上経っていた。山の麓でコンビニも店もなく、民家が数件あるだけの辺鄙な所だ。一日に数本走るバス、もしくは車で行くしかない。僕は車で向かうことにした。
 伯父に挨拶して父が好物だった温泉饅頭を供え、仏前で手を合わせた。
「わざわざすまんかったな、来てもろうて」
 伯父はさっそく仏壇の引き出しを開けて、何かの包みを取りだした。
「これなあ、兄のもんや思うけど、見覚えあるかいな」
 包みの中には見覚えある拡大鏡があった。それと黒っぽい物体。心なしか黒光りしており、長さは10センチほどだ。
「この黒い物……何ですか。僕も初めて見ます」
「昔から得体の知れんもんが好きやったからな。でも正直、うす気味悪うてな」
 伯父の言葉は「引き取ってくれないか」というニュアンスを含んでいる。僕は喜んで引き取ることにした。
 アパートに戻り、小さなテーブルの上に拡大鏡と黒い物体を置いた。それからシャワーを浴びてテレビをつけた。ふと、拡大鏡が目に留まる。
 拡大鏡が僕のところにきた――。
 父の遺した物はほとんどが書物で、私物は多くない。拡大鏡はある種の娯楽品だろうか。
 古びた拡大鏡は僕にとっても大切な物だ。小さい傷がたくさんある拡大鏡にそっと触れ、昔のように動くのかを確かめた。
 次に得体の知れない、というと失言かもしれないが、黒っぽい物体を手に取ってみる。
 太いところで直径1、5センチほどあり、思いのほか軽かった。片方は尖り、反対側は折れた状態だ。表面は何かが付着して黒いわけではなく、色が染みついたようにも見える。伯父がうす気味悪いと言うのもわかる気がした。
 拡大鏡を手に取ってその物体を見た。
 折れた表面のようすから骨のように思える。
 生き物は死んで化石化すると骨だけが遺される。物によっては何万年、何十万年前、恐竜の骨が遺るケースもあり、それはまさに生きた証だ。
 だが、黒っぽい骨は珍しいのではないか。
 アパートでひとり暮らしする母に訊くことにした。何か知っているかもしれない。
「骨ですって? 知らないわ。お父さんとは10年も会ってないのよ。でもね、お父さんは遺跡とか好きだったから、変わった物も収集してたんじゃないの」
 電話口の母は、遠い友人の話でもするようだった。
 僕は遺物をどうしようか悩んだ。こうなると頼れるのはあの人しかいない。 
「先輩、ひとつお願いがあります。時間がある時で構いませんが、父の遺品を見てもらえませんか」
「遺品? 化石でもあったのか」
 三輪先輩に図々しいお願いをした。
 いつも眉間に皺を寄せてはいるが、好奇心の塊で人がいい先輩は、職場にある顕微鏡を使って丹念に見てくれた。
「人の骨ではないな。おそらく動物かも」
「えっ、動物ですか?」
 僕は眉をひそめた。予想はしていたが、はっきり言われると困惑した。
「ひょっとしたら、鮫とか鯨かもしれないぞ」
 先輩はそう言い「私物なので有料になるが」と前置きした上で、鑑定に出すことを提案してくれた。
 僕は「ありがとうございます。考えてみます」と伝えた。まだどうすべきか悩んでいる。
 父はなぜ動物の骨を持っていたのか。
 もしかして昔ペットを飼っていたのだろうか。結婚前なら伯父が知っていそうなものだが、そんな話はなかった。
 ところで拡大鏡は、僕のふところに忍ばせるようになった。
 いつもなら発掘したものを調査課に持ち帰り、洗浄後に顕微鏡や大型ルーペで観察する。だが拡大鏡は想像以上に便利な代物だった。コンパクトで大小の拡大率を選べ、とても重宝するので現場で使うようになった。
 拡大鏡には小さな字で苗字が刻印してある。英文字で――ISHIGAMI――僕の旧姓だが懐かしくて愛着が湧く。大切な父の形見だ。
 
 週末、僕は「古物まほろば」と書かれたアンティークを扱う店舗の前にいた。
「俺の行きつけで、葛城君の持つ骨に似たものを置いていた」
 三輪先輩がそう教えてくれたからだ。しかもそれは鯨の骨だという。
 骨董街の外れ、うっかり通り過ぎるような隠れた場所にその店はあった。建つけの悪い引き戸をあけると、荷が雑多に山積みされたままだった。家具はもちろん、古い時計やカメラ、古着なんかも置いてある。こんな店に骨など置いてあるのだろうか。
 引き戸の音に気づいて店の奥から女性が顔を出した。
「なにか御用ですか」
「ええと、知り合いに聞いたんですが、こちらに鯨の骨があるとか」
 僕がぺこりと頭を下げると、店員は、はいはい、と言いながら奥に行って木製の踏み台を持ってきた。そして棚の上の小さなケースを引っ張り出す。
 ケースは木枠で硝子がはめられていた。店員が素手で蓋を開けて骨らしき物を取りだすと、意外なことにそれはムラのある薄茶色をしていた。カーブしているが長さ15、6センチはある。
「どうぞ」と言って店員が骨を差し出した。僕が躊躇すると、目で受けとるように合図してきた。
 色はともかく、僕の持つ骨とたしかに感じが似ていた。
「これはね、化石なんですよ。昔は日本でもよく鯨を食べていたでしょう」
 店員の声を耳にしつつ、僕は拡大鏡を取りだして覗いてみた。
「年代はどれくらいですか」
「鑑定には出してないのよ。以前、どこかの山で鯨の骨が出たでしょう、そんなこともあって置いているの」
 つまりは価値が出たときのために、店に置くスタンスらしい。
 山から鯨の骨が出た話は聴いたことがある。たしか600万年から700万年前の地層から出たはずだ。
 縄文海進で海面が上がり、鯨が泳いできたのかと思ったが、縄文海進は約七千年前の話だ。世界中で地球温暖化と叫ばれる昨今だが、遠い昔にも気温が上昇し、多くの土地が海に沈んだ時期があった。海面が数メートル高くなり、各地で海水が陸地の奥深くまで浸入した。
 もちろん現代の温暖化は科学的に解明されて、二酸化炭素が原因と解っている。人の力で防げるのなら防がなくてはいけない。
 現代人は変化に弱い。溢れる情報に惑わされて生きている。だが昔は何事も受け入れて自然に従い生きてきた。
「どうします? 購入されますか?」
 僕が骨を手にして考え事を始めてしまい、怪訝に思ったらしい。
「あー、すみません。また来ます」
 僕は骨を返して店を出た。肝心な答えは見つからなかった。

〈続く〉

#創作大賞2024


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