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桜が咲く頃を想像してみる
私はどうしているだろうか。
仕事も、恋も。
今年、異動願を提出した。公務員って暇でしょ?と言われることが多い。答えとしては、配属先による。
私が働く課は、庁内で最も残業が多く、過酷。人によっては、1か月の超勤が100時間に上る。
ここで耐え抜き、結果を残した者が、往々にして幹部職員に引き上げられていく。
つまり、私は脱落を宣言したことになる。とは言え、異動を願い出たのみで、希望を通してもらえる保証はない。
3月末、内示が出るまで分からない。あと2か月。私は4月からどうなるのだろうとそわそわしながら激務に耐えることになる。
夏場、熱さと激務で倒れた。以降、3か月くらい、目眩でまっすぐ歩けない中、仕事に行き、残業も周りと同じだけこなした。
彼のことが大好きなのに、夜間にメッセージのやり取りをすると、翌日の目眩が2.5倍増しくらいになるから、本当に死にそうだった。
仕事を休みたかったが、ふらふらの私をフォローしてくれている先輩が、肺炎で要入院と言われながらも、医師の制止を振り切ってゲホゲホ言いながら仕事に来ていたから、申し訳なくて休むに休めなかった。
ただただ精神的に余裕がなくなり、優しかった彼を振り回しまくった上、縋ってこない、確実に嫌われる、最悪の言い方で突き放した。
私が悪かった。余裕がないからと言って、なんでも許されるわけではない。自業自得だ。ただ、限界を突破した状態が何か月も続いたら、人間どこかしらおかしくなるようにも思う。
仕事のせいにするわけでないが、何故、大切な人を失ってまで、仕事に人生を捧げなくてはいけないのかと、馬鹿らしくなった。
勿論、真面目には働く。でも、そこまでする必要はないんじゃないかと思うし、できる人がやればいい。
4月から、少しくらい人間らしい暮らしができることを祈っている。大切な人を、大切にできる自分でいたい。
彼には、もう二度と会えないかもしれない。でも、もし会えたら、今度こそ大切にしたい。
「待ち人 おそいが来る」を信じたい。また機会があればnoteに書いてみようと思うのだけど、このおみくじを引き当てた神社で、昔、とても不思議な体験をしたことがある。だから、たかがおみくじ、と思えない自分がいる。
とは言え、それでも、ここまで連絡が取れないと、もう無理なんじゃないかと諦める気持ちが湧いてこないわけではない。
いつまで待っていればいいのだろう。春になったら、春になっても、まだまだ気長に待とうと思えるだろうか。
悲しいけれど、彼のことを心の奥にそっとしまい込み、次の誰かを探すために頑張ってみようとか思えるのだろうか。
大人になってからめっきり疎遠になっている幼馴染が、最近ハワイで挙式したことを、今日インスタで知った。
スカウトされるほどの美人さんなのもあるが、ウェディングドレス姿で微笑む彼女は、女神のように美しく、そして本当に幸せそうだった。
純粋に羨ましくて、やっぱり自分も結婚したくなった。大好きな人と微笑み合う人生を生きてみたい。
私の小指にくくられている赤い糸は、本当に誰かと繋がっているのだろうか。混線して、途中で切れてしまっているのかもしれない。そんなことを思いながら、寒い冬を耐えている。
暖かくなる頃、私はどんな気持ちで桜を見上げているだろう。笑っていてほしいけど、どうだろう。
春よ、来い。
幸せになりたいだけなのに、もどかしい。