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ターニングポイントは、視神経脊髄炎で右目の視力を失った時
私は、2019年3月に、難病の視神経脊髄炎になり、右目の視力を失いました。
現在は、少しだけ後遺症はありますが、ほぼ元の視力に回復しています。
そのときから、私の生活や考え方が少しずつ変わりました。
体のことを第一に考えて、病気になってから約1年後に12年勤めた会社を退職しました。
それからは、前より自分を大切にするようになりました。
というか、それまでは自分を大切にするということなんて考えたこともありませんでした。
今思い出すと、それまでも病気の前兆だったのか体調があまり良くない毎日を過ごしていました。
仕事、子育て、家事など、できることを当たり前のこととしてやっているだけだと思ってました。
しかし、毎日ぐったり疲れていて、体は限界だったようです。
胃炎になって何度も胃カメラしたり、風邪をひいたら数ヶ月も治らないことがありました。
でも、熱はないし倒れたわけでもないから、体に鞭を打って通勤して、めいいっぱいできることをやって、子どもの世話や家事をして過ごしていました。
毎日、「休みたい、休みたい。1週間でいいから」
と思っていました。
そんなとき、右目が見えなくなりました。
体を通して、「私は自分のことを何もわかってない、立ち止まれ」と、ストップがかかったようでした。
このまま片目が見えないままなのかなぁと思うと悲しくて、その日は泣きました。
そのとき2歳だった息子に、
「ママ、右の目が見えなくなっちゃった」
と言ったら、
「僕がいるよ、大丈夫だよ」「安心して」
って言ってくれたんだよなー。
それで、うまくちぎれなくてビリビリになったちっちゃいティッシュを持ってきてくれたんだった。
なんだか懐かしい。
翌日からは、片目が見えない現実を受け入れて病院で検査の毎日でした。
休みたいという気持ちが現実になり、2ヶ月近く入院しました。
会社の産業医の出社許可がでるまで自宅療養もして、その期間も含めると4ヶ月会社を休みました。
目が見えなくなってから毎日検査をして、半月後くらいに、視神経脊髄炎であることがわかりました。視神経や脳や脊髄を攻撃するものが血液を流れていて炎症を起こすと、目が見えなくなったり、感覚障害が出たり、歩けなくなったりと色々な症状がでる難病です。
ショックというよりは、息子を産んでからの数年の不調の原因がわかってほホッとした自分がいました。
「なんか、私がなりそうな病気だなぁ」と変に納得しました。
病名がわかった日に、仕事から帰ってきた夫にそれを伝えたら、「ネットで調べて、その難病だと思ってた。やっぱり」と驚く様子もなく当たり前のように言われたから笑ったのを覚えています。
私は、それまで重たいものをたくさん持っていました。
そこから、少しずつ、考えや行動を変えてきました。
今は、あの頃からするとかなり心が軽くなり、こうでなければならないという考えもかなり薄くなりました。
私って何も持ってないなぁ。
でも、必要なものは全部持ってるなあ。
そう思います。